十一月 凩・木枯
今年はいつまでも蒸し蒸しと暑く、夏物が仕舞えないとぼやいていましたが、十月初旬にいきなり真冬のように冷え上がりました。あわてて冬物を出した方も多いでしょう。季節は確実に移っていますが、ゆきあいのなだらかだった昔が懐かしくもあります。
ともあれ今年の立冬は十一月七日。〈初冬〉〈はつふゆ〉に入ります。
冬来れば母の手織の紺深し 細見綾子
立冬のことに草木のかがやける 沢木欣一
〈立冬〉〈冬来(きた)る〉〈冬に入る〉〈今朝の冬〉は同義に使えます。沢木・細見夫妻はともに、冬と呼ぶようになった今日の、昨日までとは異なる景や感慨を汲み取っています。
立冬と言葉も響き明けゆく空 髙柳重信
冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ 川崎展宏
同義の季語であっても文字数やリズム、音の響きが異なります。Tの音や促音の入る立冬は弾けるように、「ふ」「ゆ」の音はやさしく響きます。展宏の句は〈冬〉の項の例句ですが、私はいつも冬に慣れきっていないころの句として味わっています。
湯にゆくと初冬の星座ふりかぶる 石橋秀野
初冬の音ともならず嵯峨の雨 石塚友二
〈初冬〉も同様に「ショトウ」と読むか「はつふゆ」と読むかによって印象が変わります。銭湯へ行くときの寒さは「ショトウ」、ひそやかな雨は「はつふゆ」―必ずしもこじつけなくてよいのですが、使い分けを意識したいものです。
これまでもたびたび触れてきましたが、うっかりしやすいものに〈末枯〉と〈枯〉の使い分けがあります。〈末枯〉はまさに文字通り「末」(先端)のほうだけが枯れることを指し、秋の季語です。
名を知らぬまま末枯のうつくしき 有澤榠樝〈秋〉
草山の綺麗に枯れてしまひけり 正岡子規〈冬〉
末枯と枯とでは、残り方もその色合いも異なるはずです。脳内に絵を描きながら味わいましょう。
そしてまさにこの間を吹く強い北風が〈凩・木枯〉です。文字通り「木」を「枯」らす風です。季語の「枯」は枯死することではなく、木の葉を散らしきることですから、木々に葉が無くなったあとの風を〈凩・木枯〉と呼ぶ必要はありません。〈北風〉〈空風〉〈○○颪〉など応じて詠み分けてください。
凩の果はありけり海の音 言水
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子
「木」に関わる風を海と取り合わせる発想は江戸時代から存在しました。おそらく誓子も言水の句を知っていたことでしょう。「あり」と「なし」は対極にある語です。変貌を詠んだ前句と、消滅の後句、違いを味わってみましょう。誓子の句は昭和十九年作。特攻隊と重ねて鑑賞されたこともあったようです。
木がらしや目刺にのこる海の色 芥川龍之介
こがらしの樫をとらへしひびきかな 大野林火
木枯にさらはれたくて髪長し 熊谷愛子
凩にまなこ輝く一日かな 山田みづえ
汝を帰す胸に木枯鳴りとよむ 藤沢周平
さて、あなたの凩は、どこをどんな音で吹くのでしょうか。(正子)