今月の季語(八月) 秋の雲
立秋を過ぎても暑さはおさまりませんが、空の色と雲の形がどことなく変わってきます。秋は風の音からと詠んだ古人もいますが、雲の様相から、といってもよい気がしています。
まず雲のキャンパスである空の句から読んでいきましょう。
秋空や高きは深き水の色 松根東洋城
秋空へ大きな硝子窓一つ 星野立子
東洋城の空は深みがあって透き通った色です。空と線対象になった深い水まで見えてきそうです。立子の句は、外からの視線であれば、硝子窓に空が映っているでしょう。内からであれば、きれいに磨かれた硝子窓が切り取る空です。どちらの視線も、澄んで明るい空を捉えています。現実の秋の空は、晴れることもあれば雨雲に覆われていることもありますが、季語の「秋の空」はいつも爽やかに晴れ渡っています。
上行くと下くる雲や秋の天 凡兆
秋空や展覧会のやうに雲 本井 英
この二句には雲が登場しますが、主役はやはり空です。雲が上と下ですれ違えるほど高い空です。また、展覧会の絵のように、雲をいくつも展示できる広い空なのです。高く広く澄んだ空に浮いたり、漂ったりするのが「秋の雲」です。
ねばりなき空にはしるや秋の雲 丈草
噴煙はゆるく秋雲すみやかに 橋本鶏二
台風一過の空を寝不足の目で見上げた朝、丈草の句を思い出したことがあります。鶏二の句は、同じような白さで空にあっても、動きが違うといっているのでしょう。
秋の雲立志伝みな家を捨つ 上田五千石
前の二句とは質感も情感も異なりますが、志を胸に身一つで、と考えますと、これもまた軽やか。「蟾蜍長子家去る由もなし 中村草田男」と合わせて読むと「家」の重さを実感します。
「秋の雲」は総称ですから、何雲を指してもよいはずですが、鰯の群れのようであれば「鰯雲」、鯖の背の模様のようであれば「鯖雲」、羊の群れのようであれば「羊雲」とその名を呼ぶでしょう。
鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
妻がゐて子がゐて孤独いわし雲 安住 敦
鰯雲甕担がれてうごき出す 石田波郷
楸邨も敦も暗い目をして雲に対しているのでしょうか。波郷の「甕」は野辺送りの甕でしょう。それに対して、
鰯雲鰯いよいよ旬に入る 鈴木真砂女
ああそうか昼食(ひる)は食べたのだ鰯雲 金原まさ子
こちらのあっけらかんとした生活感はどうでしょう。
鯖雲に入り船を待つ女衆 石川桂郎
鯖の背の斑紋を連想させる鯖雲が出現するのは、秋鯖の漁期と重なるのだとか。この句はまさにその景を示しています。
牧神の午後はまどろむ羊雲 高澤晶子
羊の群れのようだと空を仰ぎ、きっと良い天気なのでしょう、牧神のいねむりを想像しています。秋の空は広く、雲は軽やか。現実から空想まで、いろいろに詠み分けてみませんか。(正子)