今月の季語〈十一月〉 時雨
木の葉を吹き散らす風が音を立て始めると、空模様が変わりやすくなり、さっと雨が通り過ぎることがあります。そんな雨を〈時雨〉と呼びます。
降る度に月を研ぎ出すしぐれかな 来山
寝筵にさつと時雨の明りかな 一茶
来山は江戸時代の前期、芭蕉と同じころに大坂で活躍した俳人。「度に」がいかにも時雨だと思います。さっと降っては止みを一夜のうちに繰り返しているのでしょう。そのたびに月が研ぎすまされてゆく、というのです。
一茶はご存知小林一茶。信州柏原の人です。若いころは江戸へ出て俳諧の宗匠をしていましたが、この句は柏原へ帰ってからのものです。冬には雪に閉ざされる柏原に、今年も「さつと」時雨の過ぎる季節が到来したのです。蔵のような家屋に筵を敷いて寝ているのです。雨が地を叩きゆく音が直に響いてきたことでしょう。また戸や壁の隙間から、雨の光が見えもしたことでしょう。時雨を「明り」で捉えた句です。
小夜時雨上野を虚子の来つつあらん 正岡子規
根岸の庵に仰臥しながら、時雨の音を聞きとめて、虚子は今ごろ上野に差しかかったころあいだろう、もう少しだったのに、などと想像しています。
天地の間にほろと時雨かな 高浜虚子
「あめつちのあはひにほろとしぐれかな」。雨粒がこぼれるさまを「ほろと」と表しています。最初の一粒であるかのようです。
翠黛の時雨いよいよはなやかに 高野素十
素十は虚子の弟子です。「翠黛」はみどりの眉墨。転じてみどりにかすむ山の景にも使われる語です。「はなやか」とは雨が勢いを増したのでしょう。音を立て始めたと解せば、視覚と聴覚の句となります。
鍋物に火のまはり来し時雨かな 鈴木真砂女
赤多き加賀友禅にしぐれ来る 細見綾子
真砂女は銀座の割烹料理屋の女将でした。今夜は鍋がよく出ること、と思っていたら、ほらやっぱり時雨が、という句です。綾子は沢木欣一と結婚後、金沢に住んだ時期があります。ともに生活圏に素材を得た句です。
うつくしきあぎととあへり能登時雨 飴山 實
實は金沢の四高出身。沢木に兄事した時期もありました。時雨は、能登時雨、北山時雨、などと地名を付けて使われることもあります。
しぐるるや駅に西口東口 安住 敦
待ち合わせした相手が西口に、敦が東口に出てしまったことがきっかけとなって詠まれた句だそうです。折からの時雨にいささか心もとない気分にもなったでしょうか。
このように名句の多い〈時雨〉は初冬、すなわち十一月の季語です。〈小春日和〉も十一月限定の季語でしたね。時雨、木枯・凩も同じく十一月限定。「あたたかき十一月」の印象はありますが、冬は確実に始まっているのです。
旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉
「初」が付くと待ち焦がれた感覚が加わります。更に短い期間限定季語です。是非今のうちに降られておいてください。(正子)