今月の季語十一月〈冬の日〉
あんなに暑い暑いとうめきながら過ごしていたのに、暦の上では早くも冬。とても気持ちが追いつきません。気分を冬にすべく、冬の季語の王道(?)を見て行きましょう。
まずは〈冬の日〉。冬の一日の意にも、冬の太陽、日差しの意にも使います。DAYのときは「時候」、SUNのときは「天文」の季語となります。
冬の日の三時になりぬ早や悲し 高浜虚子(時候)
冬の日や臥して見あぐる琴の丈 野澤節子(時候)
大仏の冬日は山に移りけり 星野立子(天文)
冬の日や茶色の裏は紺の山 夏目漱石(天文)
「冬日」のときは大概SUNの意で使われていますが、どちらの意かは、基本的には文脈から判断します。どちらにもとれるときには、より良い句になると思われるほうを選択します。
ではありますが、「時候」の虚子の句にも節子の句にも、冬の日差しを感じます。「天文」の立子の句には冬の短い一日を思います。鑑賞するときには、おおらかに往き来するほうが楽しそうです。
漱石の句は、日の当たる山の表側と日陰の裏側を色彩でとらえています。「茶色の裏は紺」、なるほどその通りだと、思わずにんまりしてしまいます。
これらはいずれも太平洋側に住む人の句です。同じ「冬の日」でも日本海側は、天候もそれに伴う心情も異なるでしょう。
再びの雪起しには振り向かず 若井新一
天よりも青きものなし雪卸 同
先月も登場した新潟県在住の若井さんの句です。俳句は具体的に詠むことが基本。単に「冬の日」と置いたところから汲まれる一定の情緒は、太平洋側のものなのかもしれません。
〈短日〉は全国共通で使えそうです。秋の間も秋分以降は昼のほうが短いですが、長くなってゆく夜を楽しむこころ〈夜長〉がありました。冬になるともう、夜が長いのは悲しいのです。前掲の虚子の句は、季語は〈冬の日〉ですが、〈短日〉のこころを詠んだものともいえそうです。
短日のしばらく墓を日向にす 長谷川双魚
あたたかき日は日短きこと忘れ 後藤比奈夫
冬の日の昼間は時間こそ短いですが、空の低い位置からの日差しのありがたさは格別です。
いきいきと電光ニュース暮早し 清崎敏郎
暗くなってからのほうが鮮やかな電光ニュースは、短日を喜ぶものの一つかもしれません。
素つ気なき男の如し短日は 渡辺恭子
人波にもまれ腹立ち日短か 富安風生
嘆いたり怒ったりしてみせながら、面白がっているのではないでしょうか。風生は自分も人波を構成する一員でありながら、どうしてみんなこんなに、と憤慨しています。こういうこと、あるある、と思わず頷く一景です。
とっぷりと暮れたあとの、冷えこみの厳しい夜の、鬼気迫る一句もご紹介しましょう。
仮の世の修羅書きすすむ霜夜かな 瀬戸内寂聴
季語の本意を踏まえながら、なぞるのではなく、それぞれの立場で詠み分けると、面白い冬が過ごせそうです。(正子)