六年前に〈囀り〉すなわち〈鳥の恋〉をテーマにしました。今月は身近な哺乳類、猫の恋をみていきましょう。
猫の恋やむとき閨の朧月 芭蕉
うらやまし思ひきる時猫の恋 越人
濡れて来し雨をふるふや猫の妻 太祇
同じ哺乳類でも〈鹿の恋〉(=秋)は雅なものとして和歌に詠まれてきました。卑俗な〈猫の恋〉は俳諧では句材として好まれ、江戸期以降多くの例句を見ることができます。
山国の暗(やみ)すさまじや猫の恋 原 石鼎
武蔵より相模へ通ふ猫の恋 有馬朗人
闇も濃く深いですが、その闇を破るように展開する猫の恋です。猫の恋ゆえにすさまじくなっている「暗」なのでしょう。
武蔵から相模へ通うには、多摩川を渡らねばなりません。水が嫌いな猫ですが、恋のためなら泳いででも渡るのかもしれません。
恋する猫を〈猫の夫(つま)〉〈猫の妻〉と呼びますが、〈恋猫〉は雌雄を問わず使えます。
恋猫の恋する猫で押し通す 永田耕衣
恋する猫で押し通すと、怪我をしたり、汚れたりします。
恋猫の丹下左膳よ哭く勿れ 阿波野青畝
恋猫となりしにはかの汚れかな 遠藤若狭男
昨今の飼猫は外へは出してもらえませんが、昔はその点おおらかだったようです。ふらっと出ては何日も帰らず、飼主を心配させることも。
恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく 加藤楸邨
恋猫のかへる野の星沼の星 橋本多佳子
それでも餌は律儀に食べに帰ってくるのが楸邨の猫です。一方多佳子の、出かけたきりなかなか戻らなかった猫は「五郎」。多佳子の猫好きは有名ですが、生涯に五匹の猫を飼ったといいます。五郎はその五代目です。
〈春の猫〉も〈恋猫〉と同義に使われます。
尾は蛇の如く動きて春の猫 高浜虚子
恋の結果として生まれる〈猫の子〉〈子猫/仔猫〉も春の季語です。
百代(はくたい)の過客(かかく)しんがりに猫の子も 加藤楸邨
百代の過客」は芭蕉の紀行文『おくのほそ道』の冒頭にある語です。この世に生きる人は皆旅人のようなものだ。旅人の中には猫の子もいて、後ろからちょこちょことついてゆく、という句。新たにこの世へ仲間入りをした猫の子へ、愛に溢れた挨拶を贈っているようです。楸邨が亡くなったときには、
猫の子をのこし楸邨逝き給ふ 原田 喬
と詠まれてもいます。泣き笑いしてしまいそうな追悼句です。
スリッパを越えかねてゐる仔猫かな 高浜虚子
あそびけり子猫のいやがることをして 行方克巳
一生懸命な仔猫のさまは愛らしく、ゆえにちょっといじってみたくもなるのでしょう。(正子)













