数あるバラ科の植物の中で、日本人にとってこれほど特別な意味を持つ花はないでしょう。東京では、靖国神社のソメイヨシノの標本木が五輪以上開花すると開花宣言がだされます。他の国、他の花では聞いたことがありません。
満開の花を見上げて楽しむ人々、散りはじめると東京のあちらこちらで見られる見事な桜吹雪、やがて桜前線は北に上っていきます。そんな報道に接すると、殺伐とした世の中をしばし忘れてしまいます。桜を眺めている人たちの解き放たれたような表情は自分にも移ってくるようで、この時期には近くの桜の名所、千鳥ヶ淵を歩くのが楽しみです。
六年前の桜の頃、詩人の大岡信先生が亡くなりました。何人かの親しかった方たちとご自宅に向かったのは次の日でした。
お体の調子を崩されてまもなく、先生は故郷に引越されました。それまで親しくしていただいた方たちが折に触れては訪れ、桜の季節になるとお花見と称して先生の周りを取り囲み、今の文学の話題や仲間の懐かしいエピソードなどを話して和やかに過ごしました。
その日、周りの杉林の向こうに陽は落ち始め、あたりはだんだんと暗くなっていきました。黒紋付に着替えられ、永遠の眠りについた先生の周りで時々静かに言葉を交わしていた古くからの編集者の一人が、窓の向こうを見ながらつぶやきました。
「西行だね、先生は。ほら、桜が」
どんな光の屈折なのか、小さなサンルームのガラス窓に写りこんだ花の影がもう片方のガラス窓に反射していました。目を凝らすとそれは実際の花ではなく、八分咲きになった桜のピンクの花が何輪も重なってぼおっと映っていたのです。
お住まいの近くには大きな桜が何本かあり年々枝も張りだしてきて、サンルームのガラス窓にも届く桜の枝が何本か花を咲かせていました。集まった方たちは「本当だ」といってその窓ガラスに映った桜に見入っていました。
願わくば花の下にて春死なむ
その如月の望月の頃
西行のこの歌は、たくさん書かれた先生のご本の中に幾度となく取り上げられています。この夜は満月ではありませんでしたが一週間もしないうちに満月。まさに望月の頃、でありました。
間もなく周りが闇となると、その花の影は消えていきました。先生の宇宙からのメッセージに桜の精も寄ってきたのでしょうか。
さまざまの事思ひ出すさくらかな 芭蕉
永遠の一瞬に立ち会った気がして、芭蕉のこの句に共感する思い出が私の中にまた一つ加えられたのです。(光加)