今月の季語(9月) 露

今となっては意外でもあるのですが、「夏休み」から連想するものに朝露があります。毎朝ラジオ体操に向かうとき、道ならぬ道を抜けては手脚や衣類を濡らしたものでした。昨今では早朝からいきなり熱い日差しがかっかと照りつけますから、こうした体験をするためには、夜明け前に出る必要があるかもしれません。
夏休みと言っても八月であれば立秋は過ぎていますが、体感としてこうした露は〈夏の露〉〈露涼し〉と夏の季語として扱うのが適っている気がします。
朝の間のあづかりものや夏の露 千代女
露が「朝の間」のみの「あづかりもの」でなくなるのはもう少し先の秋。〈露〉とだけ用いれば、秋の季語となります。また「露の間」はほんのわずかの時間、「露の命」ははかなく消えやすい命の意ですが、人生のはかなさのたとえとして使われる語でもあります。この小さな水の粒に、季節感と人生観が交差しているようにも感じられます。
露の世は露の世ながらさりながら 一茶
芋の露連山影を正うす 飯田蛇笏
一茶の句は、晩年にやっと授かった娘を二歳で失ったときの慟哭の句。「露の世」とは白露の宿るこの世であり、人の命がたやすく消える無常の世のことです。蛇笏の句は芋の葉に宿る小さな露と南アルプスの山々の取り合わせの句。正調にして句柄の大きな句です。
さて「露の茅舎」と呼ばれた俳人がいます。ご存知川端茅舎です。露の名句をあまた遺していますが、中でも、
金剛の露ひとつぶや石の上 川端茅舎
は教科書で覚えた方もおられるのではないでしょうか。この句は虚子の俳句結社誌「ホトトギス」昭和六年十二月号に、
白露に鏡のごとき御空かな
一聯の露りんりんと糸芒
露の玉蟻たぢたぢとなりにけり
の三句とともに、巻頭に選ばれています。ほんの束の間の現象ではありますが、金剛石(ダイヤモンド)のような硬質の輝きを持つ堅固な一粒のきらめきが美しい句です。
また、こんな露の句もあります。
露散るや提灯の字のこんばんは 川端茅舎
桔梗の露きびきびとありにけり
茅舎は病む人生を生きた俳人です。日が高くなれば消える露に自身を重ね見ていたことでしょうが、はかなさだけでも、美しさだけでもなく、生命感にみなぎる瞬間を認めて楽しんでいたようにも思えてきます。
借り物でない露の一句を得るために、野に降りて露に濡れてみませんか。
(正子)
