今月の季語(1月)_新年
謹賀新年。
気持ちをあらたまの如く改めて、あれこれ考える月となりました。年を越えて貫く思いもあれば、月末には既に忘れている「決意」もあることでしょう。それもこれも年のはじめなればこその愉しさです。
去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
「去年今年」は大晦日の一夜が明けて、去年から今年になることを表す新年の季語です。
さて二〇一三年はどんな年にしましょうか。
新年は、身ほとりのものすべてが季語。それだけで歳時記が一巻成立するほどです。自分の家ではしないような行事、習慣もたくさん載っているはずですから、まずは一つ一つ確かめてみてはどうでしょう。
新年は一日から七日まで、日付が季語になっています。名月のときの月齢が季語になるのと似ています。今年の抱負に「俳句」を掲げている方は、一日一日を慈しむように過ごし、一句ずつ詠んでいってはいかがでしょう。
大旦はじめの言葉嬰が出す 長谷川双魚
※大旦=元日の朝のこと。元旦。
元日や手を洗ひをる夕ごころ 芥川龍之介
留守を訪ひ留守を訪はれし二日かな 五十嵐播水
はや不和の三日の土を耕せる 鈴木六林男
ふるさとの海の香にあり三ヶ日 鈴木真砂女
火の気なき官舎に戻る四日かな 戸恒東人
水仙にかかる埃も五日かな 松本たかし
冷えきつて賀状の戻る六日かな 福井隆子
煮大根のくずれ加減も七日かな 清水基吉
人日の日もて終りし昭和かな 稲畑汀子
中国では昔、元日を鶏日、続いて狗日、猪日、羊日、牛日、馬日としてその年の禽獣や農作物が豊かかどうかを占ったそうです。人の世を占うのは七日。今の私たちにぴんと来るのは、この「人日」くらいかもしれませんが、いずれも季語となっています。
更けて焼く餅の匂や松の内 日野草城
松過の又も光陰矢の如く 高浜虚子
正月の松飾りの掛けてある間を「松の内」といいます。松をはずすのは、関東ではおおむね七日、関西では十五日のようです。地方や家庭によって違いはありますが、飾りをすべて外してしまうと「松過」。いよいよその年が本格的に動き始めます。 (正子)