浪速の味 江戸の味【二月】 深川めし(江戸)
東京都江東区の深川は、芭蕉が庵を結んだ地としてよく知られています。江戸時代の初期に摂津国(現大阪府)から移住して開拓にあたった深川八郎右衛門の苗字が地名の由来であるこの地は、当時潮が引けば砂が露出する砂州が広がっていました。
各地の名産を記した江戸時代の冊子には、深川名産として蛤、牡蠣、貝柱(アオヤギ)とあるそうで、深川は多くの貝類が豊富に獲れた漁場でした。深川の漁師が漁の合間に船上で食べたぶっかけ飯が「深川めし」のルーツと言われています。一方家庭では安価で手に入る浅蜊の炊き込みご飯がよく作られたとのことです。
江戸時代初期には永代島と呼ばれた中州であった現在の富岡八幡宮、その裏手の冬木町で私は生まれました。とうに埋め立てが進み、木場も新木場に移転する時代でしたが、浅蜊は馴染み深い食材でした。その後移り住んだ葛飾でも「あさり~~しじみ~~~」と朝には浅蜊売りがやってきました。春が闌けるころには「潮干狩り」が行楽の定番で、たくさんの浅蜊はもちろん、大粒の蛤に大喜びしたことをよく覚えています。その頃はまだまだ海が親しい東京でした。
現在の「深川めし」は、ぶっかけタイプと炊き込みご飯タイプがあり、店によって様々に工夫されています。埋め立てられた海や川は戻りませんが、「深川めし」はその俤をしのぶ名物です。
炊きあがる深川めしや葱の青 光枝