今月の季語(三月)朝桜・夕桜・夜桜
先月の「花を待つ」は引き続き有効な時期ながら、今月は時計を先へ進め、一日の時系列に沿って桜の季語を追ってみましょう。
〈桜/花〉とのみあれば、ふつうは昼間の桜を指します。
木のもとに汁も鱠も桜かな 芭蕉
生涯を恋にかけたる桜かな 鈴木真砂女
谷川の音天にある桜かな 石原八束
芭蕉の句の汁や鱠は花見の宴のメニューでしょうか。花びらが盛大に散り込むさまでしょう。見えていますから、夜桜ではありません。真砂女の恋はいわゆる不倫の恋でしたが、このすがすがしさはどうでしょう。桜の背景は青空である気がします。八束の句は聴覚から始まりますが、天へ視覚が移って広がります。眩しさを感じませんか?
もう勤めなくてもいいと桜咲く 今瀬剛一
退職前には勤めに励んでいた真昼間に花の下をぶらつきながら、とも、忙しなく出かけなくてよくなった朝の出勤時間帯に、とも解せます。夕桜や夜桜でないことは確かでしょう(むろん勤めの種類にもよりますが、今瀬氏は教職にあった方です)。
仄暗き昼を桜に逢わんとす 津沢マサ子
「昼」と明示されている珍しい例です。昼間だけれど仄暗さ(後ろめたさ?)があることを伝えています。
冒頭で「ふつうは」としましたが、作者からの指定の有無にかかわらず、適った読み方を読者のほうで選び取ることができる、と言ってもよいかもしれません。
ではこの句はどうでしょう。
命終の色朝ざくら夕ざくら 小出秋光
なんとこの句は朝と夕の限定指定です。夜や闇の桜では駄目なのは(付きすぎでもありますが)、斜めに差してくる光が必要なのかもしれません。
朝ざくら家族の数の卵割り 片山由美子
夕桜家ある人はとくかへる 一茶
家族が揃って朝食をとり、夕方になれば家路を急ぐ、オーソドックスな習慣を前提とした二句です。一茶のほうは、家族をつくる前の句でしょう。家族持ちはさっさと帰り、残るのは自分をはじめ独り者ばかり、と拗ねているようです。
夜桜やうらわかき月本郷に 石田波郷
想像のつく夜桜を見に来たわ 池田澄子
波郷は月の出まで本郷に過ごし、文字通り夜の桜を見るに到ったのでしょう。澄子のほうは、夜桜見物にくりだしたようです。〈夜桜〉を夜の花見の意で使うときには生活の季語となります。
押入に使はぬ枕さくらの夜 桂 信子
その枕を使うひとの不在を詠んだ句でしょう。桜は必ずしも視覚で捉えていなくてもよさそうです。「夜桜」と「桜の夜」は同義ではありません。ポイントを押さえて使い分けましょう。(正子)