浪速の味 江戸の味 三月 【海苔・助六所縁花見弁当】(江戸)
そのころの日本の食卓に海苔は欠かせないものでした。米をより美味しくしてくれるだけでなく、タンパク質、ビタミン、カルシウム、タウリンなどが豊富で食物繊維もとれる優秀な食品です。
海苔の採取は冬から春に行われます。11月から12月の早い時期に採れた「新海苔」は冬の季語、植物としての「海苔」や「海苔掻き」「海苔舟」「海苔干す」などの一連の作業は春の季語となっています。
日本人と海苔との付き合いは古く、平安時代の書物に早くも登場します。養殖されるようになったのは江戸時代中期とか。現在の東京都大田区大森から品川にかけての江戸湾で始まったといわれています。江戸期の海苔作業の様子は、冬から春の風物詩として多くの浮世絵に描かれています。
大森の良質な海苔は「御膳海苔」として将軍家に献上されました。海苔づくりの技術は江戸時代後期に各地に広まり、江戸前海苔の旨さは「浅草海苔」の名で全国に知られるようになりました。
大森周辺は明治から昭和初期にかけて日本一の生産地になりましたが、昭和30年代には東京湾の水質が悪化。埋め立て計画も浮上して、大森漁業協同組合は漁業権を放棄。250年続いた大森の海苔づくりは、昭和38年春をもって終りを迎えました。しかし現在でも大森には50軒ほどの海苔問屋があり、全国から集まる海苔の目利きとしての役割をはたしています。
「海苔巻き」と「稲荷寿司」の詰め合わせを「助六寿司」と呼ぶようになったのは江戸時代中期とのこと。稲荷寿司の油揚げの「揚げ」と海苔巻きの「巻き」を、歌舞伎十八番「助六所縁江戸桜」に登場する花魁「揚巻」にひっかけたわけです。なんとも江戸っ子らしい洒落ですね。
昨年はお預けだった賑やかなお花見、今年は花の下で「助六寿司」でもつまみながら楽しみたいものです。(光枝)
深々と海苔の眠るや銀の缶 光枝