今月の季語(3月)三月(2)
〈三月〉はカレンダー通りに三月のこと。暖かな日も増え、春の気配がぐんと濃くなってきます。南北に長い日本列島ですから一律ではありませんが、頬に当たる風がゆるみ、雲は白く柔らかく、木々の芽吹きが始まって視界がほんわりと緑を帯びてきます。
いきいきと三月生る雲の奥 飯田龍太
三月や生毛生えたる甲斐の山 森 澄雄
三月の甘納豆のうふふふふ 坪内稔典
龍太はこの句の自解に、春の甲斐を訪うならば三月がよいと記しています。その三月に甲斐を訪れたのでしょう。澄雄は笑い始めた山を「生毛」で表現しています。むずむずとくすぐったい感じが伝わってきます。稔典の句は口誦性が高く夙に有名ですが、まだ大笑いには到らないけれど含み笑いが止まらない、といった春の進み具合を読み取ってみたいと思います。
月のはじめには東大寺の〈お水取〉があります。耳にするだけでぶるっと厳しい寒さを連想します。が、月後半には「暑さ寒さも彼岸まで」を実感する気候となります。
水取りや氷の僧の沓の音 芭蕉〈行事〉
巨き闇降りて修二会にわれ沈む 藤田湘子〈行事〉
毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡子規〈時候〉
春分や手を吸ひにくる鯉の口 宇佐美魚目〈時候〉
彼岸会の若草色の紙包 岡本 眸〈生活〉
〈如月〉は旧暦二月の異称ですから、ほぼ新暦三月にあたりますが、衣更着(きさらぎ)の意を汲むと新暦の二月として使いたくもなる季語です。新暦と旧暦のずれについては一旦おくとして、新暦三月のはじめは〈如月〉の語感のままに鋭く、末には〈弥生〉の語感に近くなる、そういう感じ方もできそうです。
如月の水にひとひら金閣寺 川崎展宏
家建ちて星新しき弥生かな 原 石鼎
三月にはまた、昔は無かった制度が季語となったものも数多くあります。
一人づつきて千人の受験生 今瀬剛一
合格を決めて主審の笛を吹く 中田尚子
一を知つて二を知らぬなり卒業す 高浜虚子
卒業生言なくをりて息ゆたか 能村登四郎
卒業の別れを惜しむ母と母 小野あらた
百人百様の卒業がありそうです。
悲しい記憶がそのまま季語となったものもあります。
青空でなくてはならぬ空襲忌 大牧 広
三・一一神はゐないかとても小さい 照井 翠
三月十日も十一日も鳥帰る 金子兜太
空襲忌は〈東京大空襲忌〉、三・一一は〈東日本大震災忌〉です。〈三月十日〉〈三月十一日〉のみで季語として使えますが、兜太はあえて別の季語を立てています。三月十日は毎年巡り来る三月十日である以上に昭和二十年の三月十日であり、同様に平成二十三年の三月十一日なのでしょう。時間軸上には六十六年を隔てる二日がカレンダー上に隣り合って並ぶ、三月はそんな月となりました。さて、あなたの三月はどんな月ですか?(正子)