浪速の味 江戸の味(三月) 蛤汁【江戸】
東京東部の下町で育った私の子供時代の春の楽しみの一つは、隣接する千葉県での潮干狩りでした。見つけるのはほとんど浅利でしたが、時々蛤が採れると「でかした」と親が褒めてくれるのが誇らしかったものです。掘り出した蛤の、大振りでつるつるとした殻の手触りをよく覚えています。
蛤の名は「浜の栗」から、また「くり」が石を意味したなど諸説あります。物事がくいちがうことを言う「ぐりはま」「ぐれはま」は向きを揃えないと合わない蛤の殻からきており、「ぐれる」の語源にもなっています。
江戸でも「汐(潮)干狩り」は庶民の身近な娯楽でした。早朝から船で沖合に出て、正午ころ潮が引きはじめると船から下りて貝を掘りはじめたとか。「汐干小袖」と呼ばれた袖の短い着物姿の女性が楽しそうに貝を掘る様子を男性が楽しみにしていたのも想像に難くありません。歌舞伎『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)のお富と与三郎が出合うのも木更津の汐干狩りでのことでした。
平安時代から始まった蛤の殻を使った遊戯「貝合わせ」は、同じ貝の殻でないと合わないことから夫婦和合の象徴とされ、嫁入り道具のひとつにもなりました。雛飾りにも小さな「貝桶」がみられます。雛祭りの料理として「蛤汁」が出されるのもよく知られています。
江戸の汐干狩りの中心地は芝浦、高輪、品川、佃、深川洲崎などでした。その海はとうに埋め立てられましたが、近年東京湾もだいぶ綺麗になり千葉、神奈川など東京近郊では浅利を放流して潮干狩りを楽しんでもらう浜もあります。
夕陽が傾きかけ、脛にあたる潮が冷たく感じられるまで夢中で貝を掘る潮干狩りは、獲物を得る喜びと共に、自然を肌で感じられる貴重な体験です。海に触れる機会を多くの人が持つことで海に関心を持ち、海洋ごみなどの問題も少しずつでも改善することを願っています。
蛤汁大口開けてめでたけれ 光枝