浪速の味 江戸の味 8月【半助豆腐】(浪速)
夏の土用の丑の日には、身体をいたわり精の付く鰻を食べます。鰻の蒲焼の関東風は、背開きにして、白焼き、蒸す、竹串を使い、頭を落としてから焼くのが特徴ですが、関西風は、腹開きにして、蒸さず、金串を使い、頭を付けたまま焼き、最後に頭を落とします。甘辛いタレが鰻の蒲焼によく合い、鰻重、鰻丼にすると食が進みます。そうそう贅沢もできませんが、始末の精神を感じる料理を紹介します。
鰻の蒲焼の落とした頭を使い、焼き豆腐と炊き合わせにしたのが「半助豆腐」です。タレがしみ込んだ香ばしい鰻の頭を最後に加えることで、焼き豆腐の炊いたんの風味がぐんと増します。鰻の頭を「半助」と呼んでいます。その昔、一円を「円助」と呼び、鰻の頭ひと山がその半分の五十銭で売られていたからとか、いくつか説があるようです。
上方落語の「遊山船」にも「半助」が登場します。庶民の代表の喜六、清八(東京では熊さん、八っつぁん)が、行水を済ませて、難波橋の方へ夕涼みにやってまいります。橋の上は行き交う人で賑わっています。橋の下もなにやら賑やかです。見ると、大きな屋形船が大川へ出て行きます。夕涼みの船です。船には客と一緒に芸妓、舞妓、幇間が乗っており、板場、中居もいます。船上で美味しいものを食べつつ、お座敷遊びを楽しもうというなんとも贅沢な夕涼みです。
橋の上から船の様子を見て、出てくる料理をちゃかしていた二人ですが、黒っぽい四角くて長いものが皿にのせられて出てくると、あれは何やと喜六が清八に尋ねます。「鰻」だと聞いた喜六が「うちの鰻と形が違う。」「うちのんは、こんな丸いころっとしたんや。」と言い出します。清八が「お前の言うてんのは、半助言う鰻の頭や。あれは鰻の胴や。」と教えてやります。喜六は「鰻の胴は食べたことない。」てなことで、鰻の頭「半助」は、庶民にとって身近な食材だったようです。
暑気払ひ半助豆腐ありまつせ 洋子