今月の季語(9月)秋の水
朝晩は鉦叩が鳴き、ときには他の虫も加わって、うっすらと秋を感じるようになってきました。が、昼は相変わらず残暑に焙られているような日々です。涼を求めて水辺に寄ることも、まだまだ多いのではないでしょうか。水辺で秋の季語、見つけてみませんか?
〈秋の川〉(秋の池)〈秋の湖〉は(もちろん)秋の季語です。この形で見出しに掲載されており、三秋(秋の間はずっと)使えます。
秋の川真白な石を拾ひけり 夏目漱石
鳰の子のくゞる稽古や秋の池 青木月斗
山襞の折目正しく秋の湖 金箱戈止夫
漱石の真白は秋の色である「白」を意識してもいるでしょう。流れの中に白い石を認めて拾い上げたととらえると、流れの清涼感も覚えます。
月斗の鳰の子は、この夏浮巣で孵った雛でしょう。雛は哀れなことに減っていきますが、ここまで育った「子」が池の面に何度も何度も水の輪を作っているのです。
戈止夫の山は襞をしっかりたたんでいます。それをそっくり映し出している湖面も鏡面を成して明るいことでしょう。
句の水辺はどれもそれぞれに静かで、水が澄んでいる感じです。今年は気温が下がり切らず、水もまだまだぬるそうですが、昨日よりは澄んでいるかも、と覗いてみるのはどうでしょう。〈水澄む〉は秋の季語です。
水澄みて四方に関ある甲斐の国 飯田龍太
よぎりたる蜂一匹に水澄める 深見けん二
龍太の句からは水音が聞こえてきそう。対してけん二の句は、蜂の翅音のみを私は想像しますが、皆さまはいかがでしょうか。
水が澄む季節であることを讃える〈水の秋〉という季語もあります。
病む父のほとりに母や水の秋 長谷川櫂
平らなる広がりにあり水の秋 桂 信子
父と母が身を寄せ合って日々を過ごしていることが「ほとり」という柔らかな語感から伝わってきます。「ほとり」は水の縁語でもあります。〈水の秋〉という季語は、両親の凪いだ暮らしを願う子の祈りでもありましょう。
信子は、この平らで広らかなことこそが〈水の秋〉の本意だ、ここはまさにそういう美しさだと眼前の景を褒め讃えています。この句、もし〈水の秋〉でなく〈秋の水〉であったらどうでしょう。「平らなる広がりにあり秋の水」――そりゃ水は平らだよね、と突っ込みたくなりそうです。〈秋の水〉も澄んだ水を讃える季語ですが、こちらは水そのものを強調します。水も含めて水辺の秋を讃えるのですから〈水の秋〉。似て非なるところを汲みましょう。
草に触れ秋水走りわかれけり 中村汀女
秋の水ひかりの底を流れけり 井越芳子
水が走る、水が流れる、と汀女も芳子も確かに水そのものを詠んでいます。
水辺に降りると、夏の間は青くそよいでいた蘆に穂が出、中には絮を飛ばし始めたものもあります。蒲にもソーセージのような穂が。
蘆の花近寄るほどに高くなる 右城暮石
海山の神々老いぬ蒲の絮 田中裕明
いろいろなものが秋を告げています。さがしてみましょう。
(正子)
