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今月の季語(八月) 秋果

caffe kigosai 投稿日:2022年7月20日 作成者: masako2022年7月21日

立秋を過ぎると暑さを〈残暑〉と呼び、いつまでも続く暑さを〈残暑見舞〉で労りあいます。夏の暑さより、秋の残暑がしんどいのは、疲労が累積してくるからでしょう。

ですが夏のまっとう暑さがそのあとに出回る果実を甘くみずみずしく育て、残暑に喘ぐ喉を潤してくれます。秋の果実をおいしくいただくことも、自然の巡りに身を委ねることなのかもしれません。

秋果盛る灯にさだまりて遺影はや                       飯田龍太

〈秋果〉は秋の果実類の総称です。実際には個々の名前を季語として詠むことが圧倒的に多いです。具体的に見ていきましょう。

まず夏ではなく秋の季語だと知って驚く代表として〈西瓜〉。果物か野菜か問題は脇へ置くことにしましょう。

風呂敷のうすくて西瓜まんまるし           右城暮石

泣いてをり肘に西瓜の種をつけ               中嶋鬼谷

風呂敷に包んだ西瓜は手土産でしょうか。切り分けていない西瓜を見ることのほうが少なくなった昨今です。後句は誰にも覚えがあるでしょう。結局泣くのだから喧嘩しなければいいのに、と思うのは大人になってしまったからですね。

〈桃〉も「え、秋?」といわれる確率が高いです。種類が多く、早くから出回るからでしょう。

妻告ぐる胎児は白桃ほどの重さ               有馬朗人

指ふれしところ見えねど桃腐る               津田清子

ほら、今このくらい、と妻から白桃を手渡され、初めて父たることを実感した作者かもしれません。また桃はデリケートな果物です。傷みやすいこともあって、貴重品のように扱います。

葡萄食ふ一語一語の如くにて                   中村草田男

昨今は南半球の葡萄が春のころから店頭に並びますが、日本とは季節が逆であることを考えれば、やはり葡萄は秋のものでしょう。

勉強部屋覗くつもりの梨を剝く               山田弘子

水分たっぷりで、剝いてあれば手も汚さず食べられて、子どもの様子を見に行くにはぴったりの果実かもしれません。

よろよろと棹がのぼりて柿挟む               高浜虚子

柿うましそれぞれが良き名を持ちて       細谷喨々

柿も品種の多い果実です。渋柿が圧倒的に多いですが、渋を抜かずに食べられる柿がこの時期には詠まれているようです。棹を伸ばしているのは近所の悪童どもでしょうか。

星空へ店より林檎あふれをり                   橋本多佳子

空は太初の青さ妻より林檎うく               中村草田男

保管技術が進み、ほぼ年中食べられるようになりましたが、穫れたてのみずみずしさは秋のものでしょう。星空も青空も秋の高く澄んだ空です。

栗の毬割れて青空定まれり                       福田甲子雄

胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋               鷹羽狩行

甲子雄は山梨の人。栗が熟すころに、盆地の空は高い秋の空になるのでしょう。狩行の句は、向田邦子のエッセイにも登場します。発表当時を私は知りませんが、話題になったのかもしれません。

実石榴を割れば胎蔵曼陀羅図                 木内彰志

いちじくを割るむらさきの母を割る       黒田杏子

石榴や無花果は流通に乗りにくいのか、メジャーとは言い難い存在ですが、コアなファンがいる果実です。

蜜柑はまだ青いです(青蜜柑=秋/蜜柑=冬)が、柚子、酢橘、金柑、檸檬、……柑橘類が次々に旬を迎えます。柑橘好きの私としては、垂涎の季節の到来です。(正子)

 

今月の季語(七月) 夏の水辺

caffe kigosai 投稿日:2022年6月17日 作成者: masako2022年6月20日

梅雨が明けると水辺に出ることが増えます。〈水遊〉〈船遊〉、もっと直接的に〈泳ぐ〉など。いずれも人の営為なので生活の季語です。

水遊びまだ出来ぬ子を抱いてをり                     日原 傳

だんだんに脱ぎつつ水に遊びをり                     岩田由美

〈水遊〉は名詞ですが、動詞に使いたいときには「水に遊ぶ」などとします。また〈行水〉にも使える〈日向水〉も、この時分の季語です。

尾道の袋小路の日向水                                        鷹羽狩行

作者は山形に生まれ、尾道に育ったそうです。今も袋小路には盥が出ているに違いありませんが、懐かしい心の風景でもありましょう。

木曽川を庭の続きに船遊び                                金久美智子

遊船に灯を入れ男坐りかな                                横井 遥

立ち上る一人に揺れて船料理                             高浜年尾

納涼のために船を仕立てて遊ぶのです。乗り合いの遊船にも使えます。遊船が和のイメージならば、洋のイメージはこちら。

帆を上げしヨット逡巡なかりけり                       西村和子

〈泳ぎ〉の周辺にも季語がたくさんあります。

愛されずして沖遠く泳ぐなり                              藤田湘子

水踏んでゐるさびしさの立泳ぎ                          野村登四郎

平泳ぎやクロールも季語に使えます。水練のみならず、遊びで泳ぐことも季語になります。

海はまだ不承不承や海開き                                  大牧 広

もう一度わが息足して浮ぶくろ                           能村研三

砂日傘抜きたる砂の崩れけり                               小野あらた

海や川での泳ぎはむろんのこと、人工的な遊泳場も季語に使えます。

プールより生まれしごとく上がりけり                 西宮 舞

飛込みの途中たましひ遅れけり                             中原道夫

人工的といえば、ちょっと驚くこんなものも。

釣堀の四隅の水の疲れたる                                     波多野爽波

箱釣の肘の尖つてきたりけり                                 野中亮介

プールも釣堀も四季を問わずに存在しますが、夏は殊に人出が多いという理由です。

〈箱釣〉は金魚釣りのことと思ってよいでしょう。スーパーボールなどの玩具を釣ることもありそうですが。後の句は、だんだん必死になってきた様子がありありと伝わってきます。

それでは釣りも季語かと思ってしまいそうですが、こちらは工夫が必要です。

この雨は止むと出掛くる夜釣かな                       三村純也

大粒の雨が肘打つ山女釣                                 飯田龍太

涼みがてら釣る、夏の魚(鮎、岩魚、鱚など)を釣る等、すこし工夫すると季語になります。(正子)

 

今月の季語(6月)梅の実

caffe kigosai 投稿日:2022年5月19日 作成者: masako2022年5月22日

今年の二月のテーマは「梅」でした。二月は当然のことながら梅の花の句を読みました。俳句では「梅」のみで「梅の花」を指します。

小さな青い実に気付くのは立夏のころでしょうか。そのころの梅の木は青々として夏木の様相。葉隠れにぽっちりした実を見つけると、なにやら再会の心持ちになります。桜と異なり、梅には花のあとを愛でる習慣が無く、残花、桜蘂降る、余花、葉桜にあたる季語もありませんから。

うれしきは葉がくれ梅の一つかな    杜国

杜国は芭蕉の弟子です。こういう句を見つけると江戸時代を近く感じませんか。「実」の語はありませんが、花は葉隠れにはなりませんから、梅の実のこととわかります。

基本的には「梅」=梅の花であり、春の季語です。実を示すときには「梅の実」とします。

青梅に今日くれなゐのはしりかな    飴山 實

「青梅」と色を指定する季語もあります。熟す前の若い緑色の、つまむと硬い実のことです。昨日まで青かっただけの実に、今日はさっと紅色が刷かれていたのです。實はその鮮やかさに目を奪われています。

牛の顔大いなるとき実梅落つ   石田波郷

この実は熟しきって自ら落ちた気がします。実梅=梅の実ですが、黄熟して香を放つようになった実を指すことが多いです。

遠縁といふ男来て梅落とす    廣瀬直人

男が落とす実は青梅か、硬さの残る実梅でしょう。売るためにはもちろん、「梅仕事」をするにも熟しきってしまうと処理がしづらくなります。

梅の実はそのまま食すことはまずありませんが、漬けたり煮たりの処理を施して保存食にします。これを世間一般には「梅仕事」と呼び、この時期の料理記事にはこの三文字が頻出します。

青梅も実梅も植物の季語ですが、収穫から先は人が為すことですから生活の季語となります。

青梅はまず「梅酒」にしましょうか。夏の清涼飲料の意味合いでもって、熟成した梅酒も夏の季語となります。

とろとろと梅酒の琥珀澄み来る   石塚友二

さらに熟した実は「梅干」にしましょう。塩漬けにし、赤紫蘇を加え、土用のころの強い日差しに干し上げます。三日三晩の土用干というように、夜も続けて干すことがあります。

梅干して人は日陰にかくれけり   中村汀女

動くたび干梅匂う夜の家      鈴木六林男

ジャムを作ったり、エキスを抽出してジュースにしたり、梅の実の使い道はさまざまです。試しに何か作ってみませんか? (正子)

今月の季語(五月)初夏

caffe kigosai 投稿日:2022年4月17日 作成者: masako2022年4月21日

春が待たれる季節であるのは、〈待春〉という季語があることからも明らかです。初春が新年と一致していた昔はなおのこと。ですが私はそれ以上に夏が待たれます。なぜなら花粉が飛ばなくなるから。どのみちマスクはとれない昨今ですが、賛成の人は多いと思っています。

〈夏隣〉〈夏近し〉とはいいますが、夏を待つという季語はありません。近づいて来る夏への期待はありながらも、〈ゆく春〉を惜しむ気持ちが強いからかもしれません。冬が去るのは惜しみませんが、春の終わりには〈惜春〉というムードたっぷりの季語があります。

夏近し幹は幹色葉は葉色      宇多喜代子

春惜むおんすがたこそとこしなへ  水原秋櫻子

待たれ、そして惜しまれた春も移ろい、暦の上の区切り〈立夏〉(今年は五月五日)を過ぎると一気に夏めいていきます。立夏はまさに夏への扉といえるでしょう。

プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 石田波郷

子に母にましろき花の夏来る    三橋鷹女

おそるべき君等の乳房夏来る    西東三鬼

夏のはじめが〈初夏(しよか/はつなつ)〉です。〈はつなつ〉とひらがな表記されることもあります。「初」のつく語には「待ってました!」の心がこもっています。初花しかり、初鰹しかり。恋々と春を惜しんでいた人々も〈初夏〉と口にした瞬間、待ち人来たるの気持ちに切りかわるのではないでしょうか。

初夏の一日一日と庭のさま     星野立子

銀の粒ほどに船見え夏はじめ    友岡子郷

「待って」いたのは、じくじくと蒸したり、灼けるほど熱かったりの夏ではなく、すっきりとして充実した気分になる夏の始まりのみ。待春はあっても待夏が無いのはそのせい(?)かもしれません。

初夏は現代のカレンダーでは五月のころです。〈五月(ごぐわつ)〉はそのまま季語として使えます。

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹  寺山修司

地下街の列柱五月来たりけり     奥坂まや

五月を「さつき」と読むと陰暦五月の異称となり、仲夏の季語となります(皐月とも書きます)。現代の五月はおおよそ陰暦四月〈卯月〉です。

酒のあと蕎麦の冷たき卯月かな    野村喜舟

そのころのすこし汗ばむ暑さを指して〈薄暑〉といいます。これもまた初夏限定の季語です。

街の上にマスト見えゐる薄暑かな     中村汀女

フランスの水買つて飲む薄暑かな     井越芳子

沖縄ではおなじころを〈若夏〉と呼びます。稲の穂が出るころあいといいますから、体感は異なりそうですが、語感には今から育ってゆく夏の喜びが詰まっています。

若夏の魔除獅子いかる屋根の上      角川源義

五月も下旬となると麦が黄熟し、刈り入れ時を迎えます。〈麦〉は植物の季語ですが、〈麦秋〉〈麦の秋〉は時候の季語、初夏の季語です。

クレヨンの黄を麦秋のために折る    林 桂

さてこのすがすがしい夏を、どの季語で表しましょうか?(正子)

 

今月の季語(4月) 鳥の巣

caffe kigosai 投稿日:2022年3月15日 作成者: masako2022年3月21日

鳥がにぎやかに囀る季節となりました。「鳥が囀る」と日常的には言いますが、俳句では〈囀る(動詞)〉〈囀(名詞)〉のみで繁殖期の鳥が鳴くさまを表す季語となります。

囀りをこぼさじと抱く大樹かな          星野立子

切株がいつものわが座囀れり          福永耕二

「こぼさじ」の「じ」は「否定の意志」の助動詞です。囀りの樹と呼びたくなるほどの、しかも大樹が意志をもって立ち上がってきます。耕二の「切株」も、もしかすると伐られる前は「こぼさじ」と抱いていたかもしれません。今は人を坐らせ、囀りをひたすら浴びているのです。

声を主体とするときは〈囀〉を使いますが、鳥そのものをさすときには〈百千鳥〉〈春禽〉〈春の鳥〉を用います。

百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり            飯田龍太

春禽にふくれふくれし山一つ          山田みづえ

黙っている春の鳥は無い、と断言してもよいほどです。

この伴侶を見つけるための鳥の一連の営みを〈鳥の恋〉〈鳥交(さか)る〉といいます。

太陽は古くて立派鳥の恋          池田澄子

あるときはたたかふごとし恋雀       津川絵理子

〈恋雀〉のように鳥の名前を入れて使うこともできます。雀は季節を問わずそこにいる鳥なので、雀のみでは季語になりませんが、なにしろ身近なので初雀、寒雀、ふくら雀、稲雀と歳時記に頻出します。

身ごもった鳥を〈孕鳥(はらみどり)〉といいます。

大石と小石と孕雀かな            山本一歩

いつも跳ねている雀が石と見紛うほどの様相を呈しています。臨月(?)なのかもしれません。

卵を産み、孵化させ、雛を育てるには適った場所が必要です。それが〈鳥の巣〉です。

鳥の巣に鳥が入つてゆくところ     波多野爽波

巣籠の藁固からずやと思ふ       後藤比奈夫

良寛さまの山への道よ巣鳥啼き           臼田亜浪

〈巣づくり〉〈巣ごもり〉〈巣鳥〉など傍題もたくさんあります。〈巣箱〉は人が作るものですが、これも季語として使えます。

面取りをして巣箱窓できあがる     辻美奈子

鳥の恋の成就を寿ぎながら、心をこめて作ってあげてください。

巣も、鳥の名前を付して季語として使えます。手元の歳時記には、鷲の巣、鷹の巣、鶴の巣、雉の巣、鳶の巣、燕の巣、雀の巣、雲雀の巣、千鳥の巣、鳩の巣、鴉の巣、鵲の巣、鷺の巣が載っていますが、そのほとんどを私は見たことがありません。見つけたら是非一句。

鷹の巣といふあら〱としたるもの       高野素十

鷺の巣をゆるして高し神の杉                 富安風生

雀の巣かの紅絲をまじへをらむ     橋本多佳子

雀の巣あるらし原爆ドームのなか    沢木欣一

巣燕に外は鏡のごとき照り                     山口誓子

烏(からす)の巣ありあふもののありつたけ    島谷征良

(正子)

 

今月の季語(三月)万朶の桜

caffe kigosai 投稿日:2022年2月17日 作成者: masako2022年2月17日

俳句で〈花〉といえば〈桜〉です。また〈桜/花〉とのみあれば、ふつうは昼間の、咲ききった桜を指します。

四方より花吹き入れて鳰の海    芭蕉

しばらくは花の上なる月夜かな   芭蕉

鳰の海は琵琶湖のこと。ときに海のように広いと思うこともある湖ですが、今は桜色に縁取りされて、花吹雪を受けているのです。鳥瞰図のようにも思えてきます。よく見えていますから昼の景とみてよいでしょう。二句目は「月夜」と夜に指定されています。花はおそらくたっぷりと雲のように咲き誇っていることでしょうが、夜の景であることは「月夜」まで読んで初めて分かるのです。

ところで〈夜桜〉のように夜の文字を加えなくても、夜の桜の季語があります。

天と地と中に息して花あかり     角川春樹

花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月    原 石鼎

〈花あかり/花明り〉は桜の白さによって、闇の中でもそのあたりが仄かに明るいことを指します。満開の夜の桜のたたずまいを表す季語です。『天と地と』は海音寺潮五郎の歴史小説ですが、これを原作とした同名の角川映画(1990年)があります(NHKほかテレビドラマにもなっています)。春樹の句は当然それを踏まえているでしょう。この句のみで鑑賞すれば、天地のあわいに生きる自分と桜を詠んだものになりますが、謙信や信玄ら(『天と地と』の時代)の歴史上の人物を意識すると、空間軸に時間軸が加わって句の世界がさらに大きくなる気がします。

石鼎の句は「月」も登場しますが、そもそも〈花影〉が「月光などによる花のかげ」(『広辞苑』)であり、夜を意識してよい季語でしょう。「月光など」の「など」が気になりますが、石鼎の句は「月」のおかげでその点もクリアしています。

花の山ふもとに八十八の母     沢木欣一

年々にわが立つ花下も定まれり   相生垣瓜人

欣一の句は空海が九度山に留めおいた母を月に九度訪うた故事を思わせます。この句には「母米寿の祝ひに金沢へ」と前書があります。欣一自身も離れて暮らす母の身を案じていたに違いありません。

後句は瓜人七十四歳の句です。句集『明治草』に〈先人の教ふるままに花も見し〉と並んで収められています。はじめは教えられたとおりに捉えようとしていたが、今では自分の見方で自分の花を仰いでいるとも読み得るのではないでしょうか。

この二句は〈花〉を季語としていますが、植物の桜を必ずしも眼前にしていなくてもよく、むしろ、実物の桜を超えたところで、自身の思いを託して詠んでいると受け止めることができそうです。

そうはいっても米寿の祝いの花や定まった花が中途半端な咲き方であるはずはなく、やはり満開の花を想定するのがよいでしょう。

花万朶をみなごもこゑひそめをり       森 澄雄

花万朶(ばんだ)は桜が満ちているさま。いつもはかしましい「をみなご」すら声をひそめるほどの花のエネルギーはまた、

永劫の途中に生きて花を見る     和田悟朗

のような詠み方もされます。さて今年の桜、どう詠みましょうか。(正子)

今月の季語〈二月〉 梅

caffe kigosai 投稿日:2022年1月17日 作成者: masako2022年1月20日

温暖化のせいでしょうか、私の住む南関東では年内に梅が咲き出すようになりました。そのころになると、咲いていないで欲しいと念じつつ梅林に立ち寄ったりもする、臍曲がりな私です。昨年末は冷え込みのおかげで、梅林は寒林の風情でしたが、それでもかそけき花を二、三輪見つけました。

もっとも梅は種類が多く、十二月から咲くものもあります。〈冬至梅〉〈寒紅梅〉は早々に盛りを迎えます。

寒の梅挿してしばらくして匂ふ       ながさく清江

朝日より夕日こまやか冬至梅         野澤節子

年が明けると私も素直に〈探梅〉のこころを抱くに到ります。春に魁けて咲く梅を〈早梅〉、早梅を求めて歩きまわることを〈探梅〉といいます。どちらも冬の季語です。

早梅の紅くて父と母の家             加倉井秋を(冬/植物)

早梅の発止発止と咲きにけり       福永耕二

日の当る方へと外れて探梅行         鷹羽狩行(冬/生活)

冬から始めましたが、〈梅〉自体は春の季語です。〈桜〉同様古来より暮らしに密接に関わってきた植物ですから、傍題も含めて季語は豊富です。

梅が香にのつと日の出る山路かな            芭蕉

しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり        蕪村

我春も上々吉よ梅の花            一茶

芭蕉の句は『炭俵』所収。これを発句に弟子の野坡と歌仙を巻いています。「しら梅に」は蕪村の辞世句です。「ああ夜が明けてゆく……」。明け放たれるまでこの命はあるだろうか、美しい朝を見届けられるだろうか、と手を伸べているような句と私は解しています。一茶の句は作句活動が最高潮を迎える文化後期のもの。柏原を終の住処とし、妻を娶り、子を望みつつ生きる、この先の一茶を知る後世の者としては、何か空元気で我と我が身を奮い立たせているようにも思えてきます。

紅梅の紅の通へる幹ならん                  高浜虚子

老梅の穢き迄に花多し                       同

白梅のあと紅梅の深空あり                  飯田龍太

うすきうすきうす紅梅に寄り添ひぬ        池内友次郎

しだれ梅より見し城の優しくて           京極杞陽

暮れそめてにはかに暮れぬ梅林             日野草城

箒目の門へ流るゝ梅の寺                    上野章子

白梅、紅梅、薄紅梅、しだれ梅、老梅、……と梅そのものはもちろんのこと、梅林、梅園、梅の宿、……と梅の咲く場所を季語として詠むこともできます。

また季語は歳時記の植物の章にとどまりません。

庭の梅よりはじまりし梅見かな        深見けん二

梅見酒をんなも酔うてしまひけり       大石悦子

梅見茶屋ぽんぽん榾をとばしけり        皆川播水

〈梅見〉(生活の章)、〈梅見月〉(時候の章)、〈梅東風〉(天文の章)と、桜に少し早く、春を喜ぶ季語がたくさんあります。探してみましょう。(正子)

今月の季語〈一月〉 冬の星

caffe kigosai 投稿日:2021年12月15日 作成者: masako2021年12月18日

冬期は天体観測に絶好と寝袋を担いで出かける方がおられます。私自身はからっきし、ではありますが、俳句との関わりが、身近な動植物や行事に留まらず、天体への関心を押し広げてくれました。たとえ科学的とはいえなくても、それがその人の味になり得る、くらいの開き直りでもって、お好きな方も、それほどでない方も夜空を仰いでみませんか。

ことごとく未踏なりけり冬の星    高柳克弘

俳句の場合、月は別枠で考えますから、たしかに人類が足を下ろした星はありません。ですがこの句は、そういう客観的な事実を伝えているのではなく、作者自身がどの星も未だ踏んでいない、一つずつ踏んでいきたいと念じながら仰いでいるのでしょう。踏む対象として星をとらえたことがあったでしょうか。これは作者のこころざしでもありましょう。どこか、

怒濤岩を嚙む我を神かと朧の夜    高浜虚子

に通ずるものを感じます。

ゆびさして寒星一つづつ生かす    上田五千石

この句もまた若い気概に満ちています。第一句集『田園』所収ですから、実際に作者の若いころの句ですが、心の持ちようは実年齢とは無関係と信じたいものです。

列柱に寒オリオンの三つの星     山口誓子

オリオンの真下に熱き稿起こす    小澤克己

オリオンの三つ星ならば、天体に疎くてもたやすく探せそうです。〈オリオン〉のみで冬の季語として使えます。

生きてあれ冬の北斗の柄の下に     加藤楸邨

同じく北斗七星も見つけやすい星座ですが、こちらは〈冬北斗〉〈寒北斗〉もしくは冬の季語と一緒に使う必要があります。

天狼やアインシュタインの世紀果つ   有馬朗人

〈天狼〉はおおいぬ座のシリウスのことです。冬の大三角形の一点でもあります。

昭和歌謡にもある〈昴〉も冬の季語です。「星はすばる」(『枕草子』二三九段)と、かの清少納言も記しています。一つの星ではなく、星団を成しており〈六連星(むつらぼし)〉と呼ばれもします。

遙かなるものの呼びこゑ寒昴      角川春樹

寒昴幼き星を従へて          角川照子

〈銀河〉〈天の川〉は秋の季語ですが、冬の夜空にも冴え冴えとかかっています。〈冬銀河〉です。

君寄らば音叉めく身よ冬銀河      藺草慶子

冬銀河掌の中の掌のやはらかし     大嶽青児

再びは生まれ来ぬ世か冬銀河      細見綾子

第一句は相聞の句。音叉は冴え冴えと佳き音を響かせそう。第二句は恋人どうしとも親子とも解せそうです。私はとっさに父の大きな掌を思い出しました。第三句は綾子晩年の一句。若さに溢れた句には胸がふくらみますし、年輪の厚みを思わせる句にはずんと胸を突かれます。

この年末年始、冬の星で人生を詠む、というのはいかがでしょうか。(正子)

今月の季語〈十二月〉 冬の月

caffe kigosai 投稿日:2021年11月17日 作成者: masako2021年11月18日

今年の秋は長雨と台風の影響であったのか、金木犀が二度に分けて香るという不思議な現象がありました。三度香った所もあったとか。山茶花も異様に早く咲き出しましたし、すべて人類の招いた温暖化に起因するのかと心が痛みます。そんな中にも、月だけは堪能できた秋でした。名月も後の月も天気には恵まれ、実に美しく仰ぐことができました。

この稿を書いている十一月八日は月と金星が大接近。このあと十日には土星に近づき、その後は木星に近づくのだとか。月蝕や流星群の観測もできますし、天体好きにはこの上ない季節の到来です。

立冬過ぎに仰ぐ月は〈冬の月〉です。

此木戸や錠のさゝれて冬の月     其角

この句が『猿蓑』に収められたときの経緯が『去来抄』に記されています。最初「此(この)木戸(きど)」が「柴(しばの)戸(と)」に読めてしまったのだとか。間違いに気付いた芭蕉は、これほどの名句は版木を彫り上げた後であっても修正すべきである、と改めさせたのだそうです。

冬の月かこみ輝き星数多        高木晴子

冬の月より放たれし星一つ       星野立子

月と星の取り合わせの句は、シーズン中の句会に一再ならず見かけます。先行句要チェックでしょう。

次に見し時は天心冬の月        稲畑汀子

秋のようにずっと外で仰ぐことはなく、思い出したように外に出ると月はもう触れられそうにないほど遠く高くに。

冬三日月わが形相の今いかに      鳴戸奈菜

霊寄せの冬満月の上り来ぬ       井上弘美

と月の形を示しながら詠むこともできます。

雪嶺に三日月の匕首飛べりけり     松本たかし

この句は月自体が季語になってはいませんが、「匕首」とは冬の三日月なればこそ。

〈月冴ゆ〉〈月凍る〉を用いることもできます。

月冴ゆる石に無数の奴隷の名      有馬朗人

月凍てて千曲犀川あふところ      福田蓼汀

月自体も冴え冴えとしていますが、視界も非情なほどに照らし出されています。

毟りたる一羽の羽毛寒月下       橋本多佳子

寒月やひとり渡れば長き橋       高柳重信

寒月下あにいもうとのやうに寝て    大木あまり

K音の響く〈寒月〉は耳にも寒い季語かもしれません。多佳子の句には、昼間は走り回っていた鶏が夕べに饗され、あとには……というエッセイがあります。重信の句は「ひとり」の影があまりにけざやか。孤心が募りゆきます。あまりの句の「あにいもうと」ではないふたりは夫婦でしょうか、恋人同士でしょうか。読者の数だけ鑑賞のしかたがありそうです。私は、心の寄り合うさまを思いますがいかがでしょう。

大寒の月光浴といふものを       黒田杏子

このときの月は寒満月と解してよいでしょう。三日月の匕首と同じく、季語の使い方の自在さを学びたいものです。(正子)

今月の季語〈十一月〉 十一月

caffe kigosai 投稿日:2021年10月17日 作成者: masako2021年10月18日

封をされたまま放置されたような二〇二一年でしたが、はや〈冬〉となりました。

中年や独語おどろく冬の坂               西東三鬼〈三冬〉

冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ               川崎展宏

今年の〈立冬〉は十一月七日。ちなみにその夜は三日月です。このところ月moonの季語を追ってきましたが、今月から月は〈冬の月〉となります。

立冬のことに草木のかがやける                   沢木欣一〈初冬〉

生きるの大好き冬のはじめが春に似て       池田澄子

耳鳴りは宇宙の音か月冴ゆる                      林 翔〈三冬〉

とはいえ〈十一月〉はまだまだ暖か。「冬のはじめが春に似て」とはそのものずばりです。

あたゝかき十一月もすみにけり                中村草田男〈初冬〉

草田男も十一月はあたたかいと言っています。十二月に入るにあたり、さあいよいよ冬本番と覚悟を決めたのでしょうか。年の瀬を意識せざるを得ない頃合でもあり、その年の過ぎた日々への未練を感じるのは私だけでしょうか。

邂逅の心集へば冬ぬくし                          稲畑汀子〈三冬〉

冬ぬくきことも不安となる世かな              馬場駿吉

新型コロナ感染者数が激減している現在只今の私たちの心情に合致しそうな句を見つけました。 もちろんそういう句ではないのですが。

〈冬ぬくし〉は寒いはずの冬の暖かさを本来は喜ぶ季語です。昨今の温暖化により、受け止め方が変則的になってきていますが、本意を念頭に読めば、季語の効き目がより明らかになるはずです。

 

さて、冬のあたたかさをこの上なく愛でる季語があります。

 

玉の如き小春日和を授かりし                 松本たかし〈初冬〉

 

〈小春日和〉の〈小春〉とは陰暦十月(ほぼ陽暦十一月)の異称、月monthの名前です。つまり小春日和とは十一月のよき日和、という意味ですから、初冬限定の季語となります。三冬使える〈冬ぬくし〉とはその点がまず異なります。

そして「玉の如き」の句の効果とも言えそうですが、つやつやの玉(ぎょく)のようなめでたさがあります。小春日和から温暖化を連想する人はいないのではないでしょうか。

水底の砂も小春の日なたかな                    梅室

小春日やりんりんと鳴る耳環欲し            黒田杏子

小六月花のももいろ朱にまさり               飯田龍太

水底にも日なたがある、という第一句。明るい砂が見えているのでしょうか。真昼の太陽がとろんと映っているのでしょうか。いずれにしても水に激しい動きはなさそうです。

第二句は、小春日より木枯が好きだったという作者の三十代の句。りんりんは心の響きでもあるでしょう。

十一月には朱より「ももいろ」が適っているという第三句。十一月はももいろのあたたかさなのかもしれません。

〈十一月〉の字音数は六音です。面白いリズムの句が詠めそうでもありますし、音数を持て余しそうでもあります。似た意味合いで音数の異なる季語はこのようにいろいろあります。選ぶ楽しみも堪能してみてください。(正子)

 

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飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。朝日カルチャーセンター「句会入門」講師。好きなお茶は「ジンジャーティ」
岩井善子(いわいよしこ)

5月生まれのふたご座。華道池坊教授。句集に『春炉』
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。句集に『玩具』『花実』。著書に『子どもの一句』。和光大・成蹊大講師。俳句結社「藍生」所属。
福島光加(ふくしまこうか)
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同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。

  

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