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今月の季語(4月) 暖か

caffe kigosai 投稿日:2025年3月15日 作成者: masako2025年3月21日

暖冬だとうかうかしていたら、立春を過ぎて妙に冷え込み、地域によっては大雪にもなり、春の実感の遠い今年となりました。それでも春の光を見出し、風の匂いを嗅ぎ、あるいは花粉に悩まされたりしながら、春の体感を整えていきます。

あたたかな雨がふるなり枯葎         正岡子規

〈暖か〉は三春通して使える季語ですが、これは早春のあたたかでしょう。雨を得て枯葎が茫々とあたたかそうにも見えるのです。

あたたかに鳩の中なる乳母車         野見山朱鳥

日溜りに乳母車と鳩の群れ。当然幼子とその母(父)の姿もあるはずです。視覚的にあたたかくもありそうです。

構成員は異なりますが、構図が似ているこんな句もあります。

村中が見えて墓山あたたかし         ながさく清江

〈暖か〉は時候の季語ですから、基本的には気温が暖かの意です。が、それとは別に、心に感じるあたたかさを表すこともできます。

暖かにかへしくれたる言葉かな              星野立子

眠さうに暖かさうに観世音                      星野 椿

いまのことすぐに忘れて暖かし              稲垣きくの

立子(母)の句は、その言葉に喜びを覚えています。椿(娘)は観世音に春眠の気配を感じているのでしょうか。きっと本人もうっとりと眠りたい心地だったのでしょう。きくのの〈暖かし〉には救われます。同時にこの状況に〈暖かし〉と付けられるきくのの太っ腹に憧れもします。

あたたかや布巾にふの字ふつくらと   片山由美子

「ふ」の字形を詠んでいますが、ふきん、ふの字、ふつくら…と「ふ」の音を重ね、あたたかさを呼んでいるようです。

布つながりのこんな句を見つけました。

ハンケチに一日の皺夕桜                    小川軽舟

「一日の皺」は充足感でしょうか。花疲れで手足が温かくなってもいそうです。

〈麗か〉も春の季語です。〈暖か〉に明るさと美しさが加わったものととらえればよいでしょう。

麗かや野に死に真似の遊びして                    中村苑子

麗(うらら)とは老いに眩しきものならし    能村登四郎

「死に真似」とは一見恐ろしそうですが、季語が〈麗か〉ですから、花に埋もれる体勢をとっているのかもしれません。

また、ゆったりとした時間の要素を加えると〈長閑(のどか)〉になります。

のどかさに寝てしまひけり草の上            松根東洋城

さびしさや撞けばのどかな金の音            矢島渚男

本意以外のことを付けようとするとなかなか難しい季語でもありますが、詠むことで心が穏やかになっていきそうです。(正子)

今月の季語(三月)水草生ふ

caffe kigosai 投稿日:2025年2月18日 作成者: masako2025年2月20日

春の風は光るといいますが、光るのは風のみにあらず。子どものころの私は、耕しが始まるまでは田が遊び場所でしたから、用水路の音と光、田面の色と感触(ズック靴をどろどろにしては叱られていました)などなど、身の周りのすべてがきらきらし始めることを体で知っていた気がします。

水が光るのは雪解けにもよりますが、水生植物が芽吹き、水中の動物が活動を始めるからでもありましょう。

これよりは恋や事業や水温む        高浜虚子

東京高等商業学校(現・一橋大学)の卒業生を送る句。人も春の到来とともに新しく動き始めます。

水草生ふ水深きことかなしまず            山口青邨

〈水草生ふ〉はミクサオウと読みます。ミズクサオウと読むことも、〈水草生ひ初む〉の形で使うこともあります。この句は皇居の和田堀のあたりで詠まれたようですが、新社会人へのはなむけとも思えそうな句です。青邨は長く大学で教鞭をとった人でした。

水中のいよよなめらか水草生ふ            鷹羽狩行

〈水温む〉と〈水草生ふ〉が表裏一体の季語であることを思わせられる例句です。共に仲春の季語ですが、前者は「地理」の、後者は「植物」の章に収められています。

天地開闢萍の生ひそむる 斎藤愼爾

蓴生う魚たちの眼もふるふると   四ツ谷龍

「萍(うきくさ)」は水底で越冬し、春になると水面に浮いて増え始めます。あっという間に水面を覆う繁殖力に「天地開闢」は実にふさわしく思われます。「蓴(ぬなは)」はその文字で明らかなように「蓴菜(じゆんさい)」のことです。ちなみに萍も蓴菜も夏の季語です。「生ふ」がついて春の季語となります。

水中のみならず水辺にも大きな変化が現れます。

見え初めて夕汐みちぬ蘆の角        太祇

さざなみを絶やさぬ水や蘆の角            村上鞆彦

葦牙の水のつぶやき忘れ潮     佐藤鬼房

>蘆(あし)と葭(よし)は同じ植物を指します。その茎で作った簾を葭簀といいますが、春に芽ぐむときには〈蘆の角(つの)〉〈角組(つのぐ)む蘆〉〈蘆牙(あしかび)〉とするのが一般です。

角や牙のようにつんと尖った芽はたちまち生長し、晩春には若葉となります。

古蘆のけぶりかぶさる蘆若葉        深見けん二

若蘆の葉先の風に揃ひけり                今瀬剛一

前年の枯蘆を刈り取っていない場所には、けん二の句の景が現れます。また、丈がちぐはぐなままそよぐ蘆叢も見たことがありません。共に精緻な写生の技が光る句といえるでしょう。

水音の耳うち荻の角組まれ                 和久田隆子

荻は蘆とよく似ています。芽はどちらも尖っていますが、葉が伸びてくるとススキに似ているほうが荻と判別できます。船頭小唄の「河原の枯すすき」は実は荻のことではないかと、昔、近江八幡の船頭さんから聞いたことがあります。さてどうでしょう。

水辺に降りたら、ぬるんできた水をゆっくり覗いてみてください。(正子)

今月の季語〈二月〉 風光る

caffe kigosai 投稿日:2025年1月13日 作成者: masako2025年1月23日

春の風は光ると初めて耳にしたのはいつのことだったでしょうか。

風光りつゝ漣を作りつゝ                          高木晴子

風光りすなはちもののみな光る              鷹羽狩行

野山で遊んだ体験から、私がまっさきに肯うことができたのはこうした自然の光でした。雪解けの水も芽吹きも、どれもちらちら光って、外遊びの子どもの心を高揚させてくれました。

風光る白一丈の岩田帯                             福田甲子雄

産むために帰るふるさと風光る              鶴岡加苗

大人の心も、例えば命の誕生を待って輝きます。昨今は温暖化の影響でおかしなことになっていますが、それでも春の匂いを嗅ぎ当てると嬉しくなります。春の風は期待感を運ぶのかもしれません。

春風や闘志いだきて丘に立つ         高浜虚子

古稀といふ春風にをる齢かな         富安風生

虚子の春風はシュンプウ、風生はハルカゼと読めばよいでしょうか。同じ春の風でも読みによって印象が変わります。

兄妹にはるかぜ海を見にゆかむ              山田みづえ

春風に此処はいやだとおもって居る          池田澄子

みづえは読みを指定しています。澄子の春風はどうでしょう。風圧が「いや」ならシュンプウ、生ぬるさが「いや」ならばハルカゼでしょうか。あなたはどちらで読みますか?

泣いてゆく向うに母や春の風              中村汀女

ストローの向き変はりたる春の風            高柳克弘

「の」が挟まれば確実に優しい風になるようでもあります。

風吹くや耳現はるゝうなゐ髪              杉田久女

をさなごに生ふる翼や桜東風                仙田洋子

春になると、気圧の配置により日本列島は太平洋からの風を受けます。五行の考え方に則っても「春」の方角は「東」。〈東風(こち)〉は春を象徴する風といえるでしょう。

貝寄風や若く死にたる弟に                  榎本好宏

涅槃西風濁りて浪も黄なりけり              石塚友二

芋銭河童に踵のありて彼岸西風              神蔵 器

〈貝寄風(かひよせ)〉〈涅槃西風(ねはんにし)〉〈彼岸西風(ひがんにし)〉は西から吹く風です。貝寄風は聖霊会(聖徳太子の命日、旧暦2月22日)に捧げる貝殻を吹き寄せる風の意。好宏は弟を思うよすがにしています。涅槃西風は涅槃(旧暦2月15日)のころ、彼岸西風はお彼岸のころの西風です。

八荒の雲とも見えて比良の方                能村登四郎

春一番灯台守を眠らせず                    吉年虹二

春疾風すつぽん石となりにけり              水原秋櫻子

太陽にしろがねの環春北風                  森 澄雄

〈比良八荒〉〈春一番〉〈春疾風(はるはやて)〉〈春北風(はるきた)(はるならひ)〉は強い風です。

風の名前はバラエティーに富んでいます。時期、方角、強さ、それに伴うイメージの違いを意識しながら、詠み分けてみませんか。

(正子)

 

今月の季語〈一月〉正月の遊び

caffe kigosai 投稿日:2024年12月18日 作成者: masako2024年12月24日

今では、正月だからといって特別な遊びはしなくなったように思いますが、昭和のころには、正月らしいと思う遊びが確かにありました。今月は季語という観点から遊びをみていきましょう。

まず〈歌留多〉。「競技かるた」を題材にした漫画の人気と相まって、今では正月に限らぬ遊び(競技)となりました。もっとも「競技かるた」のルールが現在行われているものになった(統一、制定された)のは明治37年といいますから、地域や老若男女を問わぬ普遍的な遊びといえます。俳句では新年の季語となります。

日本の仮名美しき歌留多かな                後藤比奈夫

女御女帝うしろ姿の歌かるた                  野見山ひふみ

さまざまに世を捨てにけり歌かるた          綾部仁喜

比奈夫の「歌留多」には草書体の文字が並んでいそうです。ひふみの「かるた」は絵札のほうです。2024年のNHK大河ドラマ「光る君」では女君たちが平気で顔を見せていましたが、本当はそうではありません。描くための苦肉の策の「うしろ姿」でしょう。仁喜の「かるた」は視覚で判断するならば絵札ですが(坊主めくりをすると出家者のなんと多いことかと思います)、分かっている人には歌さえあれば、というところでしょう。

〈絵双六〉

版元は「いせ辰」道中絵双六                  文挟夫佐恵

下駄を履く双六はやく上がり過ぎ          伊藤白潮

元祖ボードゲームといえましょう。東海道五十三次ならば、振出しは日本橋、上がりは京ですが、浄土への道を描いたものなども…。夫佐恵の「いせ辰」は、和紙とその細工物で有名な店。白潮は、ひとり手もち無沙汰になって、庭へ出たのでしょうか。

〈双六〉には〈盤双六〉と〈絵双六〉があります。「光る君」が双六に興じるときは、対座した二人が、竹や木の筒に入った賽を振り、相手の陣に早く入ることを競う盤双六をしたはず。子どもの遊びであった絵双六が盛んになったのは、江戸時代初期だそうです。

〈福笑〉

福笑よりも笑つてをりにけり         稲畑汀子

福笑目鼻集めて畳みけり                 藤松遊子

他愛ないと思いつつもなぜか大笑いすることに。片付けるときまで面白いです。私の記憶では正月休み限定の遊び。皆さまはいかが?

〈羽子板〉〈羽子つき〉

羽子板の重きが嬉し突かで立つ            長谷川かな女

大空に羽子の白妙とゞまれり               高浜虚子

青空の太陽系に羽子をつく                  大峯あきら

かな女の句を読むと、初めて自分の羽子板を手にしたときが思い出されます。虚子とあきらはほぼ同じ景を見ながら、全く異なる印象の句を詠んでいます。さてあなたなら、どう表現しますか?

〈手毬〉

手毬唄かなしきことをうつくしく             高浜虚子

焼跡に遺る三和土や手毬つく     中村草田男

〈独楽〉

独楽強しまた新しき色を生み         橋本榮治

傷にまた傷を重ねて独楽の胴         戸恒東人

手毬は女の子、独楽は男の子の遊びとされがちです。が、俳句には性別を表さないことのほうが多いです。先入観を破って詠み且つ読むと、何か発見があるかもしれません。

時代により地域により、遊びはいろいろ。あなたならではの一句を是非どうぞ。(正子)

今月の季語〈十二月〉 風邪

caffe kigosai 投稿日:2024年11月14日 作成者: masako2024年11月19日

風邪をひく人が増えてきました。酷暑疲れが拭いきれないうちに、寒暖差の激しい天候とさまざまなウィルスの跋扈にさらされ、抗しきれなくなったようです。新型コロナウィルスも決しておとなしくなったわけではありません。あれにもこれにも気を付けよ、といわれる昨今。結局のところ、自身の免疫力が頼みということでしょうか。

忌々しい〈風邪〉ですが、冬の季語です。ひいてしまったら、詠みましょう。

風邪の子の餅のごとくに頰豊か                        飯田蛇笏

風邪ひけば二重まぶたになる子かな                 鶴岡加苗

とほくから子供が風邪をつれてきぬ                 鴇田智哉

この子はこんなにもちもちの肌であったか、とか、まぶたが二重になっているわ、やっぱり具合が悪いのね、とか、日ごろの元気な姿を知っているがゆえの気づきがあります。子や孫を看病しているうちに、風邪をもらってしまうことも多く、子どもがケロリとするころ、大人が寝込むこともよくあります。

年よりは風邪引き易し引けば死す                    草間時彦

大げさなと思った方はまだ「年寄」ではないのでしょう。ですが、年は取ってみないと分からないもの。しかと覚えておきましょう。

風邪の身を夜の往診に引きおこす                   相馬遷子

かぜの子に敬礼をして風邪心地                       細谷喨々

医師俳人の句です。仕事柄、貰い風邪も多いに違いありません。安静が一番の良薬のはずなのに、往診に夜道へ出てゆく遷子。子どもがひくのは「かぜ」、よこしまな大人がひくのは「風邪」と使い分ける喨々は、小児科の医師です。

店の灯の明るさに買ふ風邪薬                          日野草城

迷惑をかけまいと呑む風邪薬                          岡本眸

風邪ごこち薬なければ白湯飲んで                   中坪達哉

明るい薬局と暗い薬局があれば、明るいほうを選ぶかもしれません。なんといっても気の持ちようが大事。眸も、これを呑めば大丈夫、治る治ると暗示をかけて服用したことでしょう。達哉の、薬の代わりに白湯というのは理に適っていると思います。大方の不調は冷えによるものらしいです。身体を中から温め、休めれば、「風邪ごこち」は消えてしまいそうです。

一輪の薔薇に去りゆく風邪の神            山口青邨

薔薇で治るのは珍しい例かもしれませんが、お見舞いと深紅の薔薇(と勝手に決めている)を差し出されたら、ぱあっと心が明るくなることでしょう。

薬ではありませんが、効くとされるものに〈玉子酒〉があります。

かりに着る女の羽織玉子酒                           高浜虚子

「女」の前で〈嚏〉でもしたのでしょうか。風邪も方便になるのかもしれません。

亡き母に叱られさうな湯ざめかな                    八木林之助

まずいと認識しながら改められない習慣もあります。一度風邪をひいてしまうと、気を付けるようになるのですが。ひいてしまったら保温と睡眠、そして作句を薬として治るのを待つことにしましょう。(正子)

今月の季語十一月〈冬の日〉

caffe kigosai 投稿日:2024年10月17日 作成者: masako2024年10月19日

あんなに暑い暑いとうめきながら過ごしていたのに、暦の上では早くも冬。とても気持ちが追いつきません。気分を冬にすべく、冬の季語の王道(?)を見て行きましょう。

まずは〈冬の日〉。冬の一日の意にも、冬の太陽、日差しの意にも使います。DAYのときは「時候」、SUNのときは「天文」の季語となります。

冬の日の三時になりぬ早や悲し               高浜虚子(時候)

冬の日や臥して見あぐる琴の丈            野澤節子(時候)

大仏の冬日は山に移りけり                     星野立子(天文)

冬の日や茶色の裏は紺の山                   夏目漱石(天文)

「冬日」のときは大概SUNの意で使われていますが、どちらの意かは、基本的には文脈から判断します。どちらにもとれるときには、より良い句になると思われるほうを選択します。

ではありますが、「時候」の虚子の句にも節子の句にも、冬の日差しを感じます。「天文」の立子の句には冬の短い一日を思います。鑑賞するときには、おおらかに往き来するほうが楽しそうです。

漱石の句は、日の当たる山の表側と日陰の裏側を色彩でとらえています。「茶色の裏は紺」、なるほどその通りだと、思わずにんまりしてしまいます。

これらはいずれも太平洋側に住む人の句です。同じ「冬の日」でも日本海側は、天候もそれに伴う心情も異なるでしょう。

再びの雪起しには振り向かず                  若井新一

天よりも青きものなし雪卸                      同

先月も登場した新潟県在住の若井さんの句です。俳句は具体的に詠むことが基本。単に「冬の日」と置いたところから汲まれる一定の情緒は、太平洋側のものなのかもしれません。

〈短日〉は全国共通で使えそうです。秋の間も秋分以降は昼のほうが短いですが、長くなってゆく夜を楽しむこころ〈夜長〉がありました。冬になるともう、夜が長いのは悲しいのです。前掲の虚子の句は、季語は〈冬の日〉ですが、〈短日〉のこころを詠んだものともいえそうです。

短日のしばらく墓を日向にす                   長谷川双魚

あたたかき日は日短きこと忘れ               後藤比奈夫

冬の日の昼間は時間こそ短いですが、空の低い位置からの日差しのありがたさは格別です。

いきいきと電光ニュース暮早し               清崎敏郎

暗くなってからのほうが鮮やかな電光ニュースは、短日を喜ぶものの一つかもしれません。

素つ気なき男の如し短日は                    渡辺恭子

人波にもまれ腹立ち日短か                   富安風生

嘆いたり怒ったりしてみせながら、面白がっているのではないでしょうか。風生は自分も人波を構成する一員でありながら、どうしてみんなこんなに、と憤慨しています。こういうこと、あるある、と思わず頷く一景です。

とっぷりと暮れたあとの、冷えこみの厳しい夜の、鬼気迫る一句もご紹介しましょう。

仮の世の修羅書きすすむ霜夜かな            瀬戸内寂聴

季語の本意を踏まえながら、なぞるのではなく、それぞれの立場で詠み分けると、面白い冬が過ごせそうです。(正子)

 

今月の季語〈十月〉⑬ 新米

caffe kigosai 投稿日:2024年9月16日 作成者: masako2024年9月19日

売場から米袋の姿が消え、令和の米騒動が懸念される昨今です。日本人の米離れが報告されて久しいですが、やはり主食は米であったかと思わされます。もしかするとパンに親しんでいた世代も、こうなってみると米に執着したくなったかもしれません。

今年は尋常ならぬ猛暑でしたが、降水量が確保されたため、米の収穫高は期待できるとニュースが告げていました。品種改良で暑さに強くもなっているのでしょう。

ともあれ新米の季節到来。落ち着いて市場が潤ってくるのを待ちましょう。

新米を詰められ袋立ちあがる         江川千代八

どの家も新米積みて炉火燃えて      高野素十

まずは景気の良い句から。前句、ずっしりと新米の詰まった袋が自立するさま。擬人化された袋がいきいきと嬉しそうです。後句、米農家の景とも読めますが、そうでない各家庭でもあり得そうです。今では精米後の米を買うことが断然多いですから、一度に積むほど買ったりはしません。が、昔は玄米で購入し、食べる分ずつ搗いていたと聞きます。また何世代も同居していましたから、養う口の数も多かったはず。米がたっぷり、火もあって、というのは豊かで安心できる景に違いありません。

手に受けて象牙の艶の今年米         栗田やすし

ひんやりと両手に応へ今年米         若井新一

句の表側からは判断できませんが、前句は購入者サイドの、後句は生産者の句です。そう思って読むと、後句の「両手」は稲作に取り組んできた肉厚の手であり、「応へ」には達成感が滲んでいることがわかります。

新米といふよろこびのかすかなり    飯田龍太

この句に龍太は次のように自解しています。

 

掌の上のかすかな籾の重み。炊き上がった新米の香ばしい朝の匂い――だが、三伏の苦しい労働を思うと、その気持は複雑である。    (『自選自解 飯田龍太集』)

 

前出の若井さんには次のような句があります。

指先の水にしびれし種選み           若井新一

泥のほか見ざるひと日や代を掻く

太陽に額づくごとし田草取り

背(せな)の汗野良着の紺を濃くしたり

稲に稲のせて深田を刈りにけり

自分の手では米を作りだせない者の一人として、「新米」のよろこびを感謝の念をもって味わいたいと思います。

さて新米で造った酒を〈新酒〉〈今年酒〉〈新走(あらばしり)〉といいます。今では寒造が一般となり、新酒が出回るのは翌年となりましたが、かつての習慣から秋の季語となっているそうです。

とつくんのあととくとくと今年酒    鷹羽狩行

擬音語のみでなんと旨そうな。

古酒の壺筵にとんと置き据ゑぬ      佐藤念腹

新酒が出るとそれまでの酒は古酒と呼ばれます。新茶に対してそれまでの茶を古茶と呼ぶのと同じです。古暦、古日記も同じ道理。

あわせて覚えておきましょう。(正子)

 

今月の季語(9月) 秋の海(2)

caffe kigosai 投稿日:2024年8月19日 作成者: masako2024年8月22日

ちょうど1年前にご報告した2022年の瀬戸内の旅は、新型コロナ禍により人出は戻っていませんでしたが、瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)の開催期間と重なったおかげで、不思議なオブジェとの出会いがありました。すっかり味をしめ、2023年は仲間に声をかけたところ、現地で句会を開ける程度の人数が集まりました。私は俳句甲子園終了後に松山から直接向かう旅程なので、「一人で出て瀬戸内で仲間と合流します。さて今年はどんな海の旅になるでしょうか」と書きました。今月はそのレポートです。

 

〈瀬戸内の旅2023〉  髙田正子

初秋の旅山に沿ひ海に沿ひ

秋高し讃岐うどんにまづ並び

平家蟹のみを描きて夏のれん

豊島(てしま)

再生の島いちじくのよく肥り

島ひとつ呑み秋の雲影歪む

国生みの島影はるか月を待つ

雨のあと大きな月を波の上

月光をすこしの毒として眠る

豊島美術館

湧きつぐを水のあそびと見て涼し

一粒の水月明を滑りだす

 

2022年は瀬戸内に詳しい知人と二人きりの、熱中症対策さえしていればよい気楽な旅でした。それが23年は新しい結社を起こすという、1年前には砂粒ほども思っていなかった事態となっていました。瀬戸内行は決行しましたが、直前まで結社の口座開設が難航するなど、一進一退に一喜一憂する日々でもありました。讃岐うどんの順番待ちに〈秋高し〉と付けたのは、松山から高松へ移動中に口座開設が叶った旨を着信し、ほっとしたから。予讃線の意外に長い乗車時間が終わり、降り立った高松駅前の空の高かったこと。

ただ、島旅の楽しさを教えてくれた知人が、あろうことか直前にコロナ感染し、メイン幹事不在の旅となってしまいました。

十人に一人が足りぬ秋灯          正子

豊島では、二人の若者が句会に飛び入り参加してくださったことも嬉しい思い出です。

つぎつぎにつながつてゆく涼しさよ  正子

「新しい結社」では「俳句でつながる」をモットーの一つに掲げようと考えていましたから、豊島美術館で、ぷくりと湧いた水の粒が、ときに隣の粒を巻きこんでつつーっと走るのを見て、背を押される心持ちにもなりました。

うすうすとしかもさだかに天の川       清崎敏郎

島の空は広いです。消灯時刻前から、うっすらと天の川が見えました。都会の夜空では、薄いというより確信の持てぬ見え方しか記憶にありません。消灯すれば更にと思えましたが、そのまま朝まで覚めることもなく眠ってしまいました。

天の川柱のごとく見て眠る             沢木欣一

三時頃に起き出した方によると、暁の空には稲妻が走ったのだとか。

2024年も瀬戸内の豊かな時間を、と思っていましたが、残念ながら中止に。来年はまた瀬戸芸の開催年にあたりますから、合わせて計画しようと話し合っています。(正子)

今月の季語(八月) 秋の風(2)

caffe kigosai 投稿日:2024年7月17日 作成者: masako2024年7月21日

立秋を過ぎても、風を〈秋〉とは到底思えぬ昨今です。夕方になれば「夕風が立つ」かもしれぬと、はかない願いを抱いてもみるのですが。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる     藤原敏行『古今集』

早くおどろきたいものです。せめて先人の句を読みながら、秋風の記憶をたどってみましょう。

 

あかあかと日はつれなくもあきの風    芭蕉

※原句の「あかあか」にはくりかえし記号が使われています。

石山の石より白し秋の風                 芭蕉

つる草や蔓の先なる秋の風             太祇

 

芭蕉の一句目、あかいのは「日」ですが、風もあかく熱をもっているように感じます。二句目は白秋の風です。五行では白は秋の色です。視覚でとらえていますが、肌触りもさっぱりしていそうです。

 

太祇の句も視覚の風でしょう。「蔓の先」以外は動いておらず、先だけがあるかなきかの風をとらえているのです。背景には秋の青い空が広がっていそうです。

 

夜もすがら秋風聞くやうらの山        曽良

秋の風三井の鐘より吹き起る            暁台

 

一晩中裏山に風が鳴っていたとは、曽良は風音に寝付けなかったのでしょうか。〈初嵐〉かもしれません。

暁台は、三井寺の鐘が風に共鳴するのを聴き留めました。〈秋の初風〉と呼ぶ風ではないでしょうか。

 

十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風    許六

淋しさに飯をくふなり秋の風                        一茶

 

許六の句を芭蕉は「此句しほり有」と評したそうです(『去来抄』)。〈秋の風〉の「あはれ」をさらりと表現した手腕を褒めたとされます。食べ物で「あはれ」を表すとは、和歌にはあり得なかったことです。ただ現代の私たちには、このくだりは理解しづらいかもしれません。

一茶の句は、食が細らないところが俳諧的ともいえましょうが、理屈をこねなくても分かる句です。食べて紛らわせることならば、私たちも日常的にやっていそうです。

食べ物との取り合わせの句を挙げてみましょう。

 

秋風や鮎焼く塩のこげ加減                 永井荷風

秋風や甲羅をあます膳の蟹                 芥川龍之介

あきかぜや皿にカレーを汚し食ふ      櫻井博道

 

食べ物の句は視覚嗅覚のほかに、必ず味覚が発動しますし、聴覚や触覚も動員されるでしょう。おのずと身体全体で捉えて詠むことになりそうです。

 

死骸(なきがら)や秋風かよふ鼻の穴      飯田蛇笏

吹きおこる秋風鶴をあゆましむ                 石田波郷

 

秋風の「あはれ」といわれて咄嗟に思い出すのはこれらでしょうか。

 

遠くまでゆく秋風とすこし行く          矢島渚男

うしろより来て秋風が乗れと云う      高野ムツオ

 

多く行ったり、乗ってしまったりしたら、どこへ行きつくことやら。

 

あきかぜにいちいちうごくこころかな     池田澄子

秋風や柱拭くとき柱見て                            岡本 眸

 

この秋は、琴線に触れたものを「いちいち」書き留めてみることにしましょうか。(正子)

 

 

今月の季語(七月) 七夕

caffe kigosai 投稿日:2024年6月17日 作成者: masako2024年6月21日

〈七夕〉と聞けば、♪ささのは さーらさら のメロディが自動的に脳内再生されるほど、ポピュラーな行事ですが、実はいささか扱いにくい季語です。まとめておきましょう。

七夕は旧暦七月七日の行事です。旧暦七月は今の八月、つまり初秋にあたります。つまり、〈七夕〉は秋の季語である、ということを、まずおさえましょう。

たなばたや秋をさだむる夜のはじめ                   芭蕉

京の野堂亭を訪れたときの挨拶句です。七夕のころともなるとさすがに秋の気配が濃やかになると詠んでいます。この句には異形句もあって、

七夕や秋をさだむるはじめの夜              芭蕉

というのです。これを以て本来の七夕=秋のインプットが完了するのではないでしょうか。新暦七月七日はまだ梅雨のさなか、夜空に星も望めません。仙台など、今も旧暦を貫いている地があるのは、ご存知の通りです。

そのうえで、新暦七月七日に七夕を詠む術を考えてみましょう。保育園や幼稚園の傍らを通れば、七夕の歌が聞こえてきますし、駅の広場や公共施設のラウンジなど、もちろんご家庭でも、笹竹を立てて短冊を吊るすのは、新暦のこのころであることが断然多いのですから。

荒梅雨のその荒星が祭らるる                          相生垣瓜人

季語は〈荒梅雨〉=夏ですが、内容は七夕です。七夕は〈星祭〉ですから、 「荒星が祭らるる」を季語と捉えれば、季重なりの句でもあります。が、新暦旧暦のはざまで揺れる私たちには、かなり高度な技ながら、もっとも納得できる着地のしかたかもしれません。

七夕の一粒の雨ふりにけり                   山口青邨

七夕や髪ぬれしまま人に逢う                 橋本多佳子

みちのくの雨に七夕かざりかな              小澤 實

七夕竹切りし飛沫を浴びにけり              能村登四郎

七夕の傘を真つ赤にひらきけり              草深昌子

水っぽい例句を挙げてみました。順に読んでみましょう。

青邨の句は句集『粗餐』(昭和48年刊)所収ですから、新暦の七夕に「あ、やっぱり降って来た」というのかもしれません。

多佳子の「髪」は雨にぬれたというよりは、乾かしきらぬまま、でしょう。なにしろ〈星合〉の夜ですから、「人」はただの人ではありますまい。〈星合〉は七夕から恋の要素を抽出した季語です。〈便箋を折る星合の夜なりけり 藤田直子〉は、もちろん恋の手紙です。

實はみちのくの七夕祭で雨に遭ったようです。旧暦開催であってもそういうことはありましょう。私は八月の仙台を想像しています。

登四郎の「飛沫」は、竹を剪ったときの振動で、竹の葉の雨雫が降って来たことを指すのではないでしょうか。また、昌子は雨をおして恋人に逢いに行くのかもしれません。この二句は、七夕を季語に据えつつ、雨の時期でもあるといっている気がします。

最初におさえたように、〈七夕〉は秋の季語ですから、どの例句も秋の歳時記に載っています。試験で季節を問われれば、「秋」と答えざるを得ないのですが、もう試験には無縁となった私たち、季のことは棚上げして目の前の景を詠むことに徹する、としても悪くないでしょう。

梶の葉、硯洗ふ、願ひの糸など関連季語も一緒に調べておきましょう。(正子)

 

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飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
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同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
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5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
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