〈七夕〉と聞けば、♪ささのは さーらさら のメロディが自動的に脳内再生されるほど、ポピュラーな行事ですが、実はいささか扱いにくい季語です。まとめておきましょう。
七夕は旧暦七月七日の行事です。旧暦七月は今の八月、つまり初秋にあたります。つまり、〈七夕〉は秋の季語である、ということを、まずおさえましょう。
たなばたや秋をさだむる夜のはじめ 芭蕉
京の野堂亭を訪れたときの挨拶句です。七夕のころともなるとさすがに秋の気配が濃やかになると詠んでいます。この句には異形句もあって、
七夕や秋をさだむるはじめの夜 芭蕉
というのです。これを以て本来の七夕=秋のインプットが完了するのではないでしょうか。新暦七月七日はまだ梅雨のさなか、夜空に星も望めません。仙台など、今も旧暦を貫いている地があるのは、ご存知の通りです。
そのうえで、新暦七月七日に七夕を詠む術を考えてみましょう。保育園や幼稚園の傍らを通れば、七夕の歌が聞こえてきますし、駅の広場や公共施設のラウンジなど、もちろんご家庭でも、笹竹を立てて短冊を吊るすのは、新暦のこのころであることが断然多いのですから。
荒梅雨のその荒星が祭らるる 相生垣瓜人
季語は〈荒梅雨〉=夏ですが、内容は七夕です。七夕は〈星祭〉ですから、 「荒星が祭らるる」を季語と捉えれば、季重なりの句でもあります。が、新暦旧暦のはざまで揺れる私たちには、かなり高度な技ながら、もっとも納得できる着地のしかたかもしれません。
七夕の一粒の雨ふりにけり 山口青邨
七夕や髪ぬれしまま人に逢う 橋本多佳子
みちのくの雨に七夕かざりかな 小澤 實
七夕竹切りし飛沫を浴びにけり 能村登四郎
七夕の傘を真つ赤にひらきけり 草深昌子
水っぽい例句を挙げてみました。順に読んでみましょう。
青邨の句は句集『粗餐』(昭和48年刊)所収ですから、新暦の七夕に「あ、やっぱり降って来た」というのかもしれません。
多佳子の「髪」は雨にぬれたというよりは、乾かしきらぬまま、でしょう。なにしろ〈星合〉の夜ですから、「人」はただの人ではありますまい。〈星合〉は七夕から恋の要素を抽出した季語です。〈便箋を折る星合の夜なりけり 藤田直子〉は、もちろん恋の手紙です。
實はみちのくの七夕祭で雨に遭ったようです。旧暦開催であってもそういうことはありましょう。私は八月の仙台を想像しています。
登四郎の「飛沫」は、竹を剪ったときの振動で、竹の葉の雨雫が降って来たことを指すのではないでしょうか。また、昌子は雨をおして恋人に逢いに行くのかもしれません。この二句は、七夕を季語に据えつつ、雨の時期でもあるといっている気がします。
最初におさえたように、〈七夕〉は秋の季語ですから、どの例句も秋の歳時記に載っています。試験で季節を問われれば、「秋」と答えざるを得ないのですが、もう試験には無縁となった私たち、季のことは棚上げして目の前の景を詠むことに徹する、としても悪くないでしょう。
梶の葉、硯洗ふ、願ひの糸など関連季語も一緒に調べておきましょう。(正子)