日に日に春めいてくるさまが嬉しいころとなりました。日もゆっくりと暮れて、夕方五時のチャイムを落ち着いて聞けるようになってきました。五時に変わりはありませんが、暗いとそれだけで忙しないですから。
そんなさまを表す春の季語が〈遅日(ちじつ)〉です。〈暮遅し〉〈夕永し〉ともいいます。
遅き日のつもりて遠きむかしかな 蕪村
暮遅き加茂の川添下りけり 鳳朗
この庭の遅日の石のいつまでも 高浜虚子
銀座には銀座の歩幅夕永し 須賀一惠
〈遅日〉は文字通り日没時刻が遅くなったことを意味しますから、句の中の「今」は夕方でしょう。夕暮時にむかしを思い、川に沿って下り、石を見つめ、銀座を歩いているのです。
昼の時間が長くなったことのほうに比重を置きたいときには〈日永〉〈永き日〉を使います。
鶏の坐敷を歩く日永かな 一茶
笊ひとつ置いて日永の小商ひ 行方克己
永き日のにはとり柵を越えにけり 芝 不器男
こちらは真昼でも夕方でも好きな時間帯で鑑賞できるでしょう。のんびりした気分があって〈長閑(のどか)〉や〈麗か(うららか)〉にも近そうです。
何といふことはなけれど長閑かな 稲畑汀子
石三つ寄せてうららや野の竈 福永耕二
ストレートに〈春の昼〉〈春昼(しゅんちゅう)〉を使うこともできます。
春昼の指とどまれば琴もやむ 野澤節子
私自身もかつて兼題の〈のどか〉で案じ始めて、〈春の昼〉に落ち着いたことがあります。
子のくるる何の花びら春の昼 髙田正子
これらはすべて時候の季語で、おおざっぱにとらえれば同義といえましょう。ですが、明らかに違いはあります。詠み分けを試みると春の気分がますます高まることでしょう。
意味は近いのですが、季節違いの季語に〈日脚伸ぶ〉があります。こちらは、冬至を過ぎて昼の時間が少しずつのびていくことを表す晩冬の季語です。
日脚伸ぶ励むにあらず怠けもせず 清水基吉〈冬〉
日脚伸ぶ母を躓かせぬやうに 広瀬直人〈冬〉
まだまだ寒いですが、確実に春が近づいて来る実感がじんわりと伝わってきます。
〈三寒四温〉はこのころの季語です。〈三寒〉〈四温〉別々に使うこともできますが、いずれも晩冬の季語です。
黒板に三寒の日の及びけり 島谷征良〈冬〉
四温かなペン胼胝一つ芽のかたち 成田千空〈冬〉
(正子)