カフェネット投句(9月) 飛岡光枝選

tuki【入選】

お月見や団子の替りカステイラ  今日子

「お月見の団子の替りカステイラ」。切れの見極めを。

火祭りの火消へ闇に人の散る  弘道

ことばリズムに気を配ること。「火祭りの火は消え人は闇に散り」。

祭壇に現れし花野や母逝きぬ  涼子

「花野」に母上の人柄が偲ばれる。「祭壇は花野となるや母逝きぬ」。

母の遺影見つめてをれば夕かなかな  涼子

「をれば」を消したい。「母の遺影見つめる我に夕かなかな」。

わが山はすこし遅れて粧ひぬ  隆子

植物の種類の関係か、周囲の山より遅れて紅葉になる山。「わが山」一考。

炎天下釣師ひとりに瀬音かな  周作

真夏のしんとした渓流釣り。「炎天の釣師ひとりの瀬音かな」。

今月の料理(10月)_新米に

p新潟は今稲刈りの真最中。実った稲は機械であっという間に刈りとられてしまい、今では刈り取り機がその場で稲を脱穀までしてしまいます。空に突き出された煙突のようなものから、さらさらと玄米が出てくる仕組みです。これを見たときは正直驚きましたが、二、三年もするとほとんどの農家の方がその機械で稲を刈っています。雨で倒れた稲もなんなく刈り取られ、数日でほとんどの田を刈り終えてしまいます。素人にはわかりませんが、稲を干すと言うひと手間が完全に抜けているのです。

昨日も家の前の田圃で稲刈りが行われていました。この田圃の主は無口ですが、実に勤勉な方で暑い最中も田の見回りを欠かさず、炎天下畔の害虫を焼いたり枝豆の苗を間引いたりとよく働く方です。了解を得て刈り取った稲を一掴みいただきに田に降りたのですが、その時の甘い香りにびっくりしました。瑞々しく甘い香りはご飯を炊いた時の匂いです。それが、刈り終えて数時間もすると、田の匂いは新藁の匂いと変わってしまうのです。一時この甘い瑞々しい香りは実に新鮮な驚きでした。

今月の料理は新米ですが、このままで美味しいものをさらに美味しくするのは至難の業です。そこで、ちょっといたずら。
どのお宅にもあるパン粉。これと豚のひき肉をオイルとバタ―で炒めふりかけにします。たかがパン粉ですが侮る事なかれ、パン粉のいためた物はイタリアでも、シチリア風などと呼ばれパスタやサラダによく使われているようです。

【作り方】
パン粉の倍の量の豚肉を用意します。
フライパンにサラダオイルをいれ、ひき肉を炒めます。
肉の色が変わったら醤油を入れ、パン粉とバターを入れてさらに炒めます。
全体にさらさらになってきたら、醤油と酒を加え味を調えて炒め上げます。
分量はお好みで大丈夫です。健康に心配なければバターを多めに。お肉より断然パン粉が美味しいのが不思議です。ニンニクのみじん切りを加えオリーブオイルで作れば、パスタにもサラダにも合います。

三百年家を守りて今年米     善子

今月の季語〈十月〉 秋の野遊び

akinonoasobi〈秋の野遊び〉という季語をご存知ですか? 春の〈野遊び〉に対する季語です。昔の歳時記に「草花見」「萩見」の記載がありますから、もともとは秋の草花を愛でに野へ出ることであったと思われます。実作の際には、このままの形より具体的なモノが見えてくる季語を使った方が、伝わる俳句になるでしょう。

花野から今刈りて来し供華ならむ  飯島晴子

眼に溜めて風の色見ゆこぼれ萩   福永耕二

〈残暑〉に喘いでいては楽しく遊べませんから、秋の遊びはまず夜からではないでしょうか。今年の仲秋の名月は九月十五日、後の月は十月十三日です (暦の関係で毎年ずれますが、今年はまさにうってつけの日付と言えましょう)。各地で〈月見〉の会や〈虫聴き〉の会が開かれるのが常ですが、イベントに参加しなくても、月を仰ぎ、虫の声に耳を傾けることはできます。夜の野遊びは、秋ならではかと思います。

岩鼻やここにもひとり月の客    去来

しづかなる自在の揺れや十三夜   松本たかし

花鳥風月虫を加へて夢うつつ    手塚美佐

そして秋にはなんといっても、収穫の楽しみがあります。〈桃〉〈葡萄〉〈梨〉〈林檎〉等の〈秋果〉を自ら捥いで味わったり、〈茸狩〉や〈栗〉拾いのために山へ入ったりします。

茸狩りポシェットがけに竹の籠   上田日差子

佳き言葉授かる葡萄棚の下     向田貴子

栗打つや近隣の空歪みたり     飯田龍太

〈芋煮会〉というのは山形の秋の野外行事ですが、各地にこれに類する収穫を祝う行事があるのではないでしょうか。

月山の見ゆと芋煮てあそびけり   水原秋櫻子

初めより傾く鍋や芋煮会      森田 峠

また旧暦九月九日の〈重陽〉に節句行事を執り行うのは、現代の庶民にはあまり縁の無い話ですが、小高い丘や山に登って〈菊の酒〉や〈茱萸の酒〉を飲む風習を指す〈登高〉〈高きに登る〉は、今では本意から逸れ、高い所に登って楽しむ意に使われるようにもなっています。

灘見ゆと聞けば逸りて登高す    皆吉爽雨

酒持たず高きに登る高きは佳し   藤田湘子

そうは言っても前句の「灘」は灘の生一本の灘ですし、後句も持っていない「酒」を意識する作りとなっています。節句行事のために登るのではないとしても、本意を意識しながら作り、かつ読み取る方が面白いでしょう。

そして古来よりの秋の一大イベント〈紅葉狩〉も控えています。温暖化の昨今、十月にはまだ〈紅葉〉〈黄葉〉しきっていない所のほうが多いですが、春の桜前線とは逆に、北の方から順々に紅葉の知らせが届き始めます。

いつぽんは鬼より紅し紅葉狩    鍵和田秞子

紅葉狩しつつ命の砂時計      品川鈴子

今年の日本は〈台風〉の通り道になってしまったかのようで、不本意なことも多いですが、秋を楽しみ「命の砂時計」を大切に使おうではありませんか。 (正子)

今月の花(10月)ななかまど

%e3%81%aa%e3%81%aa%e3%81%8b%e3%81%be%e3%81%a9床の間にいけられたななかまど。紅葉は黄色がかった薄い緑からオレンジ、そして、赤へと移っていき、直径五、六ミリの艶やかな実の房が葉の間からたわわに下がっていました。東京ではななかまどの紅葉を十月末の展覧会でいけることはありますが、それは初秋の、まだ夏を引きずっている九月のごくはじめのことだったので、驚いてそばに寄ってみました。

そういえば北海道で見かけたのは路樹で、実が美しかったこと、葉も紅葉し始めで、あれも八月末くらいだったかと記憶をたどりました。

床の間にいけられたそのななかまどの葉には傷や痛み、枯れたところがないのは、この作品を生けた作家のかたををはじめ、関係者が注意深く毎日手入れをなさっているからでしょう。それにしても、久しぶりに見るあまりにも立派なななかまど、収めたお花屋さんのスタッフの方ににきいてみました。

これは限られた地域の荷主さんから出されたもので、気候も日当たりも山の最適な場所で、きっと特殊な仕掛けをして大事に育てたななかまどだと思うという答えでした。もちろんそれがどこの誰なのか、その花屋さんも直接は知らず場所に行ったこともないそうです。。実際のところ、、雨が当たっても葉の成長のタイミングによっては葉にシミなどを与えます。風も大敵です。よく見ても水分がなくなって丸まっているものはなく、こういうのをプレミアムななかまど、とでもいうのだろうかと私は持っていた携帯で写真を写させていただきました。

ナナカマドは早春、枝に小さな薄緑の葉がお互いをかばうように丸まって出てきて、それがほどけて開いていきます。葉は奇数羽状複葉、つまり先に一枚、あとは細い葉柄に対についています。

春も遅く、枝先についた花は五弁の小さな花弁をもち、たくさん集まって咲くので遠くからみると白い泡が吹いているように見えます。この時期にいける時は、この小さな花弁がはらはらと散りやすいので気を付けなければなりません。

秋につけた赤い丸い実は、鳥に食べられなければ、冬には雪のなか、葉がすっかり落ちた十数メートルにも達する木の黒褐色の木肌とよい色のコントラストとなることでしょう。

ななかまどは七度窯にくべても燃えない、ということで名前が付いたといわれますが、それだけ瑞々しいということなのでしょうか。名の由来には異説を唱える植物学者もいるということですが、新芽のしたたるような緑色を見ると、この名前がつくほど春の水分を吸って芽吹く美しさからも来ているのかとも思います。ほかに雷電木(らいでんぼく)または雷電(らいでん)という名前でも知られています。(光加)

朝日カルチャーセンター「カフェきごさい句会」8月

suika8月の朝日カルチャーセンター「カフェきごさい句会」の兼題は「カフェきごさい」サイトより、8月の季語「「夏の思い出」の中の初秋の花」8月の料理「生姜ご飯」8月の花「もみじあおい」です。

【特選】

ひまはりやずしりと重き金メダル  涼子

向日葵と金メダル。子供なら夏休みの宿題に描きそうだが、大人になるとなかなかできない取り合わせ。「ずしり」の存在感が一句の命。

島人はもみぢあふひを供花にして  隆子

ハイビスカスと近縁という、もみじあおいの華やかで大きな紅の花。一読、沖縄の八月を思った。
晩夏の光に映える少し重たい紅色。「供花として」。

【入選】

撫子の小さき花束教師へ  今日子

撫子に「小さき」は言わずもがな。この場面ならではの描写を。

砂場には裸の子居る蝉時雨  周作

蝉時雨と砂だらけになった裸の子供には、夏の終わりの感じがある。ただ「には「居る」が冗長。「砂場に裸の男の子」。

生姜ご飯辛さと甘さ引き合ひて  涼子

「引き合ひて」がわかりにくい。「辛さ甘さの引き合うて」これもまだ。ご一考を。

とらはれの金魚一匹金玉糖  光加

夏らしいお菓子の様子が楽しく描けた。より美味しそうに「とらはれて金魚涼しく金玉糖」。

落蝉の骸ころがす猫がゐて  稲

非情な日常。「落」は不要。

草叢で螽斯鳴くところそつとみる  守彦

わくわくする少年の心が描けた。「草叢の」。

柔肌は土が造りぬ新生姜  今日子

新鮮な新生姜へのアプローチ。「柔肌」では新生姜のきりりとした感じに合わない。

しっかり描くことは必要だが、言い過ぎるとただそれだけの句になる。難しいがそこが推敲のしどころ。

紅蜀葵水打つて立つ砂ぼこり  光枝

ネット投句(8月) 飛岡光枝選

tuyukusa
【特選】

祭足袋こはぜを強く挿しこみぬ  周作

これから神輿を担ぐのだろうか。祭りにかける意気込みが伝わる一句。

露草や絵筆の先のひとしづく  涼子

露草はまさに一滴の絵の具が花になったような風情。はっとさせられる一句。

【入選】

八月の墓標かカンナあかあかと  隆子

印象鮮明。「八月の墓標」であり「夏の墓標」であるカンナ。

茄子の馬父母送る友とせむ  弘道

「送る友とせむ」がごちゃごちゃしてしまった。何を言いたいのかを見極めて、必要ない言葉は整理してすっきりと表現したい。「父母のよき友となれ茄子の馬」。

新生姜下駄に素足の石畳  周作

「石畳」は不要なので、下五でもっと情景が描ける。「素足に下駄」。

蝉時雨イチローすぐに三千本  周作

面白い取り合わせ。「すぐに」ではただの説明。「蝉時雨イチローはるか三千本」。

のぞき込む顔もめぐりて走馬燈  涼子

「顔もめぐりて」では、顔がぐるぐる回ることに。せめて「顔に」にしないといけないが、走馬燈なので「めぐり」はいらない。「のぞき込む顔に映りて走馬燈」。

今月の季語(9月)夜長

yonaga昔から「秋の日は釣瓶落し」と言いますが、〈釣瓶落し〉が秋の季語として使えることをご存知ですか? 山本健吉が提唱し、賛同した俳人がいて定着した季語なので、まだ新しい部類に属します。

釣瓶落しといへど光芒しづかなり   水原秋櫻子

コンコルド広場の釣瓶落しかな    石原八束

健吉に「きれい寂(さび)」と賞された秋櫻子の句と、舞台を海外に置いた句を抽いてみました。「釣瓶」を使って描かれた西洋画のような句です。

秋の太陽が他の季節と比べて高速で動くわけではありません。夏より早く暗くなる忙しなさに、人がそう感じるのです。

釣瓶落しの後に訪れる〈秋の夜(よ)〉は夏より「長い」と感じます。正確には冬のほうが長いですが、冬の長い夜は鬱陶しく、夏より気温が下がって過ごしやすくなる秋の夜の長さは嬉しいのです。そういう気持ちを表す季語が〈夜長〉です。

妻がゐて夜長を言へりさう思ふ    森 澄雄

寝るだけの家に夜長の無かりけり   松崎鉄之介

アラジンに世之介に飽き夜長なり   マブソン青眼

「夜が長くなったわね」「そうだな」と静かに満ち足りていた森夫妻に、ほどなく〈飲食をせぬ妻とゐて冬籠〉という日々が訪れるとは、誰が予測したでしょう。

また、夜長は起きていることを楽しんでこそのもの。二句目はまさにそれを言っています。夜間に寝ている時間が長くても、それを夜長とは言わないのです。

末の子の又起きて来し夜長かな   上野 泰

親がともしている灯に子どもが起き出してきました。私にも遙かな記憶がありますが、父の膝からつまませてもらった落花生は、他の兄弟が味わっていないゆえ一層美味でした。

三句目は読書の秋に掛けています。『千夜一夜物語』も西鶴の浮世草子も、好き放題に読んでなお余るほど夜が長い、と。作者は一茶の研究者でもあるフランス人です。

秋の夜や旅の男の針仕事      一茶

秋の夜の雨すふ街を見てひとり   横山白虹

酒も少しは飲む父なるぞ秋の夜は  大串 章

〈秋の夜〉とだけあっても、長い夜であることを前提に読み取ればよいでしょう。一句目も二句目も、それゆえ一層しみじみとしてきます。三句目は、長子誕生の報を受けた新米父の喜びです。「少し」飲みながら生まれたばかりのわが子のもとへ思いを飛ばしています。名前を考えているのかもしれません。

夜がいちばん長いはずの冬には〈日短〉の季語があります。明るく暖かい昼の時間が短いのを惜しむ気持ちが反映されています。その冬が去り、春には〈日永〉を喜びます。実際にいちばん日が永いのは夏至のころであることは言うまでもありません。その夏には〈短夜〉と夜の明ける早さを詠うのです。何か少し臍曲がりのようにも、脳天気なようにも思えてきて楽しいです。

秋の夜長。季語の本意に触れる遊びはいかがですか?   (正子)

今月の料理(9月)_椎茸の酒塩焼

kinoko常に食事を賄う主婦にとって外での食事は中々楽しいものです。献立に頭を悩ます必要もなく作る手間も片付ける手間もありません。365日家族の健康を考え経済を考慮しなおかつ美味しいものを作り続けるのは誰が考えても簡単な事ではありません。コックさんと執事、メイドさんのいる生活がしたいと言った友人がいましたが、そんな生活が出来たらいいですね。また、料理好きにとって外食の楽しさは他にもあります。ホテルなどの食事は別として、ちょっと気の利いたお料理屋さんのカウンターや、気さくな女将のいる店などで板前さんの包丁さばきや料理、食材についてのあれこれを見聞きするのは家庭料理のヒントにもつながります。

そう考えると、カウンターは料理の工程がみられる楽しいところ。全てとは言えませんが、目の前に出される一品がどんな風に作られるのか、器も盛り付けも目が離せません。昔、京都の「千花」というカウンターだけのお店に行った時は主の巧みな話術や料理のあれこれ見事な包丁さばきなど、お料理以上のものを堪能して帰ってきました。後で知った事ですが、創業者の永田基男さんはカウンタ―で料理を出してもてなす草分け的存在で、多くの文化人がそのお料理や会話を楽しみに通ったと聞きました。最後に青紫蘇の千切りがご飯の上に乗って出てくるのですが、その見事な包丁さばき。きざまれた青紫蘇はふわふわと絹糸より細く少しも口に触ることなく香りだけが広がって行きます。

今月の料理もさる女将からちょっと教えていただいたものです。新潟の駅前にある小さなお料理屋さんで何気なく注文したものですが、家庭でも簡単に出来そうなのでご紹介します。また、焼いた椎茸は例えば、三つ葉と和えたり炊き合わせ添えたりと、他のお料理にも応用できますのでお試しください。お酒に椎茸を漬けて焼いたものですが、ご存知のように椎茸は旨みが強すぎいっぺんに沢山は食べられませんが、お酒に漬けたせいでしょうか普通に焼くより食べやすく椎茸が余り得意でない方にもおすすめです。

【作り方】

塩を入れたお酒を用意します。塩加減はお好みで。お酒の分量は椎茸が浸かるくらいです。お店ではお酒に漬け一晩置くとの事ですが、家庭ではそこそこで良いと思います。もちろん長く置いても差し支えありません。ただ、あまり長時間だとお酒の匂いが強くなります。漬けておいた椎茸をペーパーなどで軽く拭き、傘を裏返して魚焼きグリルで焼きます。椎茸のひだから水分が出てきたら焼き上がりです。この水分は旨みですので裏返さずに。

木洩れ日に椎茸の榾組まれあり      善子

朝日カルチャーセンター「カフェきごさい句会」7月

hotaru6年目を迎えた「カフェきごさい」句会、この7月より第四木曜日午後の教室となり、夏の力作が揃ました。兼題は6月・7月の「カフェきごさい」サイトより、今月の季語「夏の嫌われ動物 2」「祭」、今月の料理「琥珀ゼリー」「利休汁」、今月の花「ミント」「黒百合」です。

【特選】

青葱に蛍を入れて畔走る  守彦

「走る」がいい。「青」も効いている。思い出の情景だが、感傷にとらわれず現在形でしっかり描いた。

母逝きし祇園囃に送られて  弘道

「祇園囃」にお母様の一世が思われるしみじみとした一句。「逝くや」とするとより切実。

懐かしき人訪ふ琥珀ゼリー揺れ  涼子

「琥珀ゼリー」「揺れ」それぞれの言葉が作用しながら、揺れながら、世界を作るのが俳句。

【入選】

いま止みし雨の名残の睡蓮花  今日子

「雨の名残か」。どちらにしても「雨の名残」は曖昧。

ミントの葉アイスクリームの山頂に  涼子

「山頂」がゆかい。

三尺の簾の外の暑さかな  守彦

簾の内の別世界。「三尺」がいい。

吹きわたる風薫らせて薄荷刈  隆子

薄荷の風が吹きわたる大いなる大地。

八月の傷あと疼く花氷  稲

「花氷」を一考。

ミントの葉もしやもしやにせりティーポット  今日子

もしゃもしゃがミントの葉らしい。「せり」は「して」。

白髪やアロハシャツにも年期入り  光加

「にも」が「白髪」を受けての説明。年期が入ってどういうアロハシャツなのかを具体的に。

夏帽子これが最後かクラス会  守彦

季語の「夏帽子」がいい。「最後と」。

句が季語の説明になっていないか、注意。夏から秋への季語満載のこの時期、どうぞご健吟を。8月は「カフェきごさい」サイトより、今月の季語「「夏の思い出」の中の初秋の花」、今月の料理「生姜ご飯」、今月の花「もみじあおい」です。

戦争の影よぎりけりミントティ  光枝

今月の花(9月)おやまぼくち

デモンストレーションの花材として持ってこられたなかに、見慣れぬ名前がありました。珍しいからと花屋さんが追加して入れてくれたものでした。

それは切り取られているからか、長さはせいぜい40cmくらい。一本の茎からまた何本か茎がでていて、その色は白色がかった緑で、触ると毛足のごく短いベルベットのようでした。やわらかい布のような感触の葉の表は明るい緑ですが、裏は茎とおなじような白が勝っている薄い緑色でした。3-4cmほどのころころとした花はと、よく見ようとすると、何かチクチクと手にさわります。それはたくさんある花弁の先が尖っていたからでした。

大量に栽培された花にはない「おやまぼくち」の野趣のあるこの表情には心惹かれます。

「雄山火口」と書いて「おやまぼくち」と読みます。「やまぼくち」という近縁の植物があり、それに比べると雄々しいのでこの名がついたということですが、名に反して勇ましい威張った姿ではなく花の頭はつつましく下を向いて咲いているのです。

「おやまぼくち」は「のあざみ」の一種で、キク科と聞けばなるほど花弁の密集した集まり方は菊と共通のものでした。蕎麦の産地の長野県では、この「おやまぼくち」の葉の繊維をつなぎに入れて使うところもあるそうです。その葉の色から「うらじろ」、また「やまごぼう」と呼ぶ地方もあると聞き、きれいな空気をたくさん吸い込んだ山のふもとの植物にますます魅せられました。

「あざみ」は春の季語ですが、あざみには種類がたくさんあり春から秋まで咲くいろいろなあざみがあるそうで、「おやまぼくち」の花は夏から秋にかけて咲きます。

ちなみに「ぼくち〈火口〉」は火打石から初めに燃え移らせるものを意味するそうで、「雄山火口」もその下を向いた花の姿からは想像できないくらい、乾いた葉はきっと火をうけてパッと燃え上がるのでしよう。その時こそ、この植物がその名にふさわしいと思えてくるのかもしれません。(光加)