冬の歳時記の〈行事〉のところを開いてみましょう。いくつの季語となじみがありますか? 多少でもイメージの湧く季語を仲冬に限って抽いてみますと、私の場合は、
五節の舞、開戦日、秩父夜祭、義士の日、神楽、王子の狐火、報恩講、臘八会、大根焚、クリスマス
これに加えて、終大師(しまひだいし)や大祓(おほはらへ)などの歳末・年越関係の季語、青邨忌のような忌日の季語…といったところでした。皆さまはいかがですか?
〈開戦日〉は自身の体に覚えはありませんが、後世へ伝えるために詠み継ぎ、読み継ぐ季語と思っています。
開戦日が来るぞ渋谷の若い人 大牧 広
十二月八日よ母が寒がりぬ 榎本好宏
今のご時世で意識すべきは、終戦日より開戦日かもしれません。大牧広の句は、開戦日=十二月八日にとどまらず、そのまま警鐘としてとらえることができます。
〈報恩講〉(親鸞の忌日を修する法会)は縁あって参じたことがあります。コロナ禍のころでしたから、規模も小さく、人出も少なく、「本物」には遠かったかもしれません。ただ、当時私は、足の骨にヒビが入る生涯初の事態に見舞われ「けんけん」で参ることになったものですから、参じる人の「心」は感じ得た気がしています。
わが代の限りは門徒親鸞忌 大橋桜玻子
俳諧の他力を信じ親鸞忌 深見けん二
実感が大切なのはどの季語にもいえることですが、行事の季語は殊に、個々人の体験の有無が大きくものをいいそうです。
〈クリスマス〉は中でも傍題が多く、例句も膨大です。宗教の行事に留まらず、市井の暮らしへの定着度がよくわかります。
一人来てストーブ焚くやクリスマス 前田普羅
へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男
ここに酸素湧く泉ありクリスマス 石田波郷
どの句も「一人」のクリスマスです。一句目は後から誰か来るかもしれませんが、今は一人。二句目は、ワンタンには少年時代の思い出がまつわると自解していますが、クリスマスらしくないことを自覚しています。三句目は酸素吸入をしないと生きられないのですから、確かに命の「泉」ですが、切なさも限りなしです。これらはむしろ特殊で、
クリスマスツリー地階へ運び入れ 中村汀女
ヴェール着てすぐに天使や聖夜劇 津田清子
降誕祭終りし綺羅を掃きあつめ 福永耕二
子へ贈る本が簞笥に聖夜待つ 大島民郎
見つめよと置くともしびやクリスマス 千葉皓史
あれを買ひこれを買ひクリスマスケーキ買ふ 三村純也
パーティの準備、後片付け、贈り物の用意、…と、こちらがよく知っている、クリスマスらしい景でしょう。
トラックを停めて聖樹を売り始む 坂本宮尾
また駅の時計見上ぐる聖菓売 菊田一平
聖樹売、聖菓売本人の句ではありませんが、立場を変えるとこんな詠み方も。
さて今年はどんなクリスマスの句を詠みましょうか。(正子)