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カテゴリーアーカイブ: 浪速の味 江戸の味

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浪速の味 江戸の味(十一月)千歳飴(金太郎飴)【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2023年10月30日 作成者: mitsue2023年10月30日

十一月に入ると、神社やお寺には七五三詣での着飾った親子が見られるようになります。子どもの成長を祝うこの行事は、江戸期に関東で始まったものが京都、大阪でも行われるようになり、全国へ広まったということです。

七五三に欠かせない「千歳飴」は、元禄時代に浅草の飴売りが売り出した「千年飴」から始まったとされています。細長い形は長生きに通じ、紅白の飴が松竹梅や鶴亀など縁起の良い絵が描かれた袋に入っています。子どもが持てる袋に入れたのは大正解で、誰が発案したのか知りたいものです。子どもが千歳飴の袋を引き摺るように持つ可愛らしい様子は、俳句でもよく詠まれます。

水飴と砂糖を材料とする千歳飴は、大人になってからすっきりした後味を滋味と思うようになりましたが、子どもの頃はあまり惹かれることもなく、私のご贔屓は不二家のミルキー千歳飴でした。一粒でも美味しいミルキーが長い棒になっているなんて、まるで夢のようだと思ったのをよく覚えています。

写真は、東京都台東区根岸の「金太郎飴本店」の千歳飴。同店の初代が明治の初めころ露天商として飴を売り出し、金太郎飴は二代目が”組飴”の技術から発案したとのことです。

組飴は大阪では「おかめ」や「福助」の絵柄が作られていましたが、関東で人気の「金太郎」を絵柄として大ヒット、飴の名称としても定着しました。子どもの元気な成長を願う七五三の千歳飴には、熊をも投げ飛ばす金太郎はぴったりではないでしょうか。

千歳飴にぎつて眠る父の背  光枝

浪速の味 江戸の味(10月)ひろうす【浪速】

caffe kigosai 投稿日:2023年9月24日 作成者: youko2023年9月25日

今年は秋暑しどころではない猛暑日が長く続き、秋はいつのことかいなと思っていたら、秋彼岸から秋らしくなってきました。「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったものだと思います。多少落ちていた食欲も秋風とともに戻ってきました。実りの秋は美味しいものであふれています。

枝豆もそのひとつです。大豆を成熟させる前に収穫するので、きれいな緑色をしています。枝豆は鞘ごと塩ゆでにしても美味しいですが、その色をアクセントに様々な料理に使えます。水切りした木綿豆腐を崩し、山芋や卵白を加え、牛蒡、蓮根、にんじん、ひじきなどを細かく切って混ぜ,まるめて揚げたものを関東では「がんもどき」と言います。元々豆腐を使った精進料理で「雁の肉に似せたもの」ということで「がんもどき」です。

一方、関西では、「がんもどき」ではなく、「飛龍頭(ひりょうず)」「ひろうす」と言います。この名前は、ポルトガルの揚げ菓子「フィリョス」からきているとのことです。小麦粉と玉子の生地をボール状にして油で揚げ、シナモンシュガーをまぶした菓子なので、ドーナツのような感じかと思います。製法や見た目は似たところがありますが、関西で菓子でもないのになぜ「ひろうす」と呼ぶようになったのか不思議な気がします。江戸時代のポルトガル菓子に思いを馳せつつ、枝豆入りのひろうすの炊いたんと栗ご飯で秋を満喫したいと思います。秋も深まってくると、ぎんなんもひろうすの具材に加わります。

ひろうすの炊いたん秋の昼餉かな  洋子

浪速の味 江戸の味(九月) 鱸【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2023年8月25日 作成者: mitsue2023年8月25日

江戸前の鱸

日本全国の河川や沿岸に生息し出世魚として知られる鱸は、秋が最も風味がよく美味しいことから秋の季語となっています。

大きいものは1メートルを超える肉食の鱸は、下あごが突き出た大きな口を持つ、精悍な顔つきの魚です。背は黒灰色、腹部は銀白色という体色も存在感があります。

『平家物語』には、清盛が船で熊野参詣に向かった折、船に飛び込んできた大きな鱸を熊野権現の御利益だとして自ら調理し、みなに振舞ったという件があります。

鱸は江戸前の魚として知られ、江戸時代には白身の魚としては鯛に次ぐ人気だったと言われています。刺身はもちろん、膾や昆布じめにしたり、寿司のネタにも使われました。皮は炙り焼きにし、骨は出汁をとり一尾無駄なく食されました。

漁獲量は現在でも隣県の千葉県が日本一ですが、東京育ちの私にはそれほど馴染みのある魚ではありません。スーパーに並んでいるのを見かけることもほとんどありません。今回初めて自宅で塩焼きにして食べましたが、身はふっくらとして甘みのある旨さ。家庭で料理されることが少ないのはもったいないと思いました。

多くの鱸が水揚げされる千葉県の船橋漁港には、新鮮さを保つ「瞬〆すずき」をブランドとして売り出している業者や、鱸を使った料理を提供する店も増えています。湾岸に生息する鱸は、味が河川や海の環境に大きく左右されます。いつまでも江戸前の美味しい鱸を食べたいものです。

釣りあげん月呑みこみし大鱸  光枝

浪速の味 江戸の味 8月【半助豆腐】(浪速)

caffe kigosai 投稿日:2023年7月21日 作成者: youko2023年7月22日

夏の土用の丑の日には、身体をいたわり精の付く鰻を食べます。鰻の蒲焼の関東風は、背開きにして、白焼き、蒸す、竹串を使い、頭を落としてから焼くのが特徴ですが、関西風は、腹開きにして、蒸さず、金串を使い、頭を付けたまま焼き、最後に頭を落とします。甘辛いタレが鰻の蒲焼によく合い、鰻重、鰻丼にすると食が進みます。そうそう贅沢もできませんが、始末の精神を感じる料理を紹介します。

鰻の蒲焼の落とした頭を使い、焼き豆腐と炊き合わせにしたのが「半助豆腐」です。タレがしみ込んだ香ばしい鰻の頭を最後に加えることで、焼き豆腐の炊いたんの風味がぐんと増します。鰻の頭を「半助」と呼んでいます。その昔、一円を「円助」と呼び、鰻の頭ひと山がその半分の五十銭で売られていたからとか、いくつか説があるようです。

上方落語の「遊山船」にも「半助」が登場します。庶民の代表の喜六、清八(東京では熊さん、八っつぁん)が、行水を済ませて、難波橋の方へ夕涼みにやってまいります。橋の上は行き交う人で賑わっています。橋の下もなにやら賑やかです。見ると、大きな屋形船が大川へ出て行きます。夕涼みの船です。船には客と一緒に芸妓、舞妓、幇間が乗っており、板場、中居もいます。船上で美味しいものを食べつつ、お座敷遊びを楽しもうというなんとも贅沢な夕涼みです。

橋の上から船の様子を見て、出てくる料理をちゃかしていた二人ですが、黒っぽい四角くて長いものが皿にのせられて出てくると、あれは何やと喜六が清八に尋ねます。「鰻」だと聞いた喜六が「うちの鰻と形が違う。」「うちのんは、こんな丸いころっとしたんや。」と言い出します。清八が「お前の言うてんのは、半助言う鰻の頭や。あれは鰻の胴や。」と教えてやります。喜六は「鰻の胴は食べたことない。」てなことで、鰻の頭「半助」は、庶民にとって身近な食材だったようです。

暑気払ひ半助豆腐ありまつせ   洋子

 

浪速の味 江戸の味(七月) かき氷【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2023年6月28日 作成者: mitsue2023年6月28日

蒸し暑い日本の夏を彩る「かき氷」。近年は様々なトッピングのかき氷も登場し、
幼い頃食べていたシンプルなかき氷とは別物の感があります。

平安時代の『枕草子』にかき氷が登場することはよく知られています。清少納言が「あてなるもの(上品なもの)」として「削り氷に甘葛(あまずら)入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる」と書いた当時の氷は氷室で保存した天然氷でした。

夏の氷が貴重だった時代は長く続き、江戸時代末には船で北国の氷が大量に運ばれるようになりましたが、それでも庶民の身近になったのは明治時代になってからです。

明治維新でいち早く開港した神奈川県の横浜は、様々な「日本初」が誕生した土地です。日本初のかき氷店も明治2年に横浜で生まれました。その後東京でも明治後半には、夏はかき氷、他の季節は焼芋、汁粉などを出す店が増えていきました。

遠い昔の氷室の時代から明治初期までは天然氷しかありませんでしたが、その後製氷技術の発展により氷は各家庭でも利用できる時代がきました。

何でも簡単に手に入るようになった時代の反動か、ここ十年くらい前から「天然氷」を売り物にしたかき氷店が急速に増えました。東京近郊では日光や秩父の天然氷がよく知られており、写真のかき氷は八ヶ岳の天然氷を使っています。

天然氷のかき氷はふんわりした食感です。冬の間、何週間もかけてゆっくり凍らせた天然氷だと思うと、心なしか上品な風味を感じます。鉋で削り、シンプルな蜜をかけ、銀の器で供す、そんな枕草子風(!)の削り氷を出す店がそろそろ出てくるかもしれません。

水平線に大きな夕日かき氷  光枝

浪速の味 江戸の味 6月【魚そうめん】(浪速)

caffe kigosai 投稿日:2023年6月1日 作成者: youko2023年6月4日

暑くなってくると、さっぱりして、つるっと食べられる冷素麺が食べたくなります。

大阪や京都では、夏になるとかまぼこ店に、その素麺を思い起す「魚そうめん」が並びます。かまぼこ店の魚そうめんは、白身魚のすり身を麺状にしたもので、その名前通り、素麺つゆにつけて食べたり、椀だねにしたりします。食感はかまぼこですが、見た目が涼やかで夏の食卓に上ります。祇園祭や天神祭の時のごちそうの一品にもなります。

もう一つ、かまぼこ店の夏季の名物が「あんぺい」です。見た目が似ている「はんぺん」はつなぎに山芋粉などのつなぎを使いますが、「あんぺい」は魚のすり身だけを柔らかく練り上げて蒸したものです。食べるとふわっと魚の風味が口に広がります。わさび醤油で食べたり、椀だねにもなります。

かまぼこの特徴は、旨さと弾力ですが、大阪かまぼこは、弾力より旨さにこだわってきました。明治から大阪では鱧をよく使っていましたが、現在もそれは受け継がれています。

『大阪食文化大全』によると、かまぼこの名前が文献にあらわれるのは永久三年(1115年)。関白右大臣藤原忠実が催した祝宴のメニューに登場します。今でいう焼き竹輪に似たものであったらしいのです。かまぼこの語源は、ガマの花穂に似ているからとのこと。江戸時代に板付かまぼこが一般化したようです。

「魚そうめん」や「あんぺい」はタンパク質もとれるので、食欲がなくなる夏を元気に乗り切るのに役立っていると思います。

魚そうめん祭支度のはじまりぬ  洋子

浪速の味 江戸の味(五月) 鯉の洗い【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2023年4月21日 作成者: mitsue2023年4月21日

初夏の風に吹かれる鯉幟は、いつ見ても心躍る情景です。急流を登る鯉の生命力にあやかり出世を祈念してあげる鯉幟。そんな見た目の良さだけでなく、鯉は食べても栄養満点な食材です。

昔は産後の女性が食すと乳の出がよくなると信じられ、眼病や胃腸病にもよく効く薬用魚として知られていました。鯉は鰻と並ぶ人気の食材で、川や堀の多い江戸では鯉釣りに挑む人も少なくなかったそうです。

江戸の下町本所には「本所七不思議」と呼ばれる話が残っています。そのひとつ「置行掘(おいてけぼり)」は、釣人が帰ろうとすると水の中から「置いてけ~」という声がして、逃げ帰るといっぱいだった魚籠が空になっているという怪談で、鯉釣りが題材になっているとのこと。

鯉の夏の料理といえば、なんといっても「洗い」。夏に演じられる落語「青菜」には鯉の洗いが登場します。仕事先のご隠居に鯉の洗いをご馳走になった植木屋が「口の中が涼しくなりやすね」と言うセリフが印象的で、一緒に勧められる冷えた柳蔭(みりんと焼酎のブレンド)と共になんとも涼し気です。

洗いは、新鮮な刺身を冷水につけて洗ったもの。脂肪や川魚特有の癖がとれあっさりした食感になります。氷水で引き締めた鯉の洗いが氷片に盛られた様子は、身の薄紅色と相まって清々しい一品です。

現在の東京では鯉を食べる機会は減りましたが、帝釈天で知られる柴又の傍を流れる江戸川や隅田川沿いには鯉を出す料理屋があります。そんなひとつ、隅田川の両国橋のたもとの川魚料理屋で鯉の洗いを頂きました。店を出たのは、そろそろ日も傾く頃。一合の冷酒に火照った頬を川風が撫でていきました。

川浪に日の落ちゆくや洗鯉  光枝

浪速の味 江戸の味 4月【桜菓子】浪速

caffe kigosai 投稿日:2023年3月26日 作成者: youko2023年3月28日

桜の満開情報が届く季節になりました。コロナ禍のため、集まっての花見を控えていた人々も、今年は久しぶりに家族や友人と花見を楽しまれることでしょう。

毎年、吉野山で花の句会を行っていたのですが、ここ三年は中止になっていました。今年は四年ぶりに吉野山で花の句会を開催します。花時の吉野山は押すな押すなの賑わいです。さらに今年は久しぶりに吉野山へ花見に出かける人が多いので、四月上旬の吉野山の人出はいかばかりかと思います。

吉野山は、奈良県中央部にある標高455メートルの山で、吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道が世界遺産に登録されました。吉野山は、金峯山寺の門前町として開け、花時には多くの観光客が訪れます。

一目千本と呼ばれ、下千本・中千本・上千本・奥千本と咲き上る山桜は見事でまさに全山花盛りになります。昔から歌や俳句に花の吉野は詠まれてきました。現在も貞室と同じ感慨を持つ人々で賑わいます。

これはへとばかり花の吉野山   貞室

みよし野は右往左往の花見かな  貞室

吉野山のみやげとして有名な吉野葛。美しい葛の花は秋の七草の一つでもあります。多年草で、晩秋に枯れますが、根っこは次の春に備え養分を蓄えます。そうして大きくなった葛の根っこが店先に飾ってあるのをみると野趣に富んでいます。

吉野葛作りは、雑菌の繁殖などが無く、品質のよい葛粉作りに適した冬の冷え込みが厳しい時期に行われます。山中から掘り出した葛の根を砕き、地下水を張った桶で攪拌します。褐色の葛が真っ白になるまで何度も水を替えて洗います。

その後、適当な大きさに割り、二か月自然乾燥し、純白の吉野本葛になります。

老舗の和菓子店では桜の花の木型を使って作った桜の葛干菓子が店頭に並んでいます。桜の蕾、葉などの型抜きもあり、菓子箱に吉野の花見の思い出が詰まっています。

久しぶりに一目千本の花を愛で、桜の葛干菓子を食べて吉野の花見を楽しみたいと思います。

み吉野の花や蕾や桜菓子   洋子

浪速の味 江戸の味(三月) 蛤汁【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2023年2月22日 作成者: mitsue2023年2月22日

東京東部の下町で育った私の子供時代の春の楽しみの一つは、隣接する千葉県での潮干狩りでした。見つけるのはほとんど浅利でしたが、時々蛤が採れると「でかした」と親が褒めてくれるのが誇らしかったものです。掘り出した蛤の、大振りでつるつるとした殻の手触りをよく覚えています。

蛤の名は「浜の栗」から、また「くり」が石を意味したなど諸説あります。物事がくいちがうことを言う「ぐりはま」「ぐれはま」は向きを揃えないと合わない蛤の殻からきており、「ぐれる」の語源にもなっています。

江戸でも「汐(潮)干狩り」は庶民の身近な娯楽でした。早朝から船で沖合に出て、正午ころ潮が引きはじめると船から下りて貝を掘りはじめたとか。「汐干小袖」と呼ばれた袖の短い着物姿の女性が楽しそうに貝を掘る様子を男性が楽しみにしていたのも想像に難くありません。歌舞伎『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)のお富と与三郎が出合うのも木更津の汐干狩りでのことでした。

平安時代から始まった蛤の殻を使った遊戯「貝合わせ」は、同じ貝の殻でないと合わないことから夫婦和合の象徴とされ、嫁入り道具のひとつにもなりました。雛飾りにも小さな「貝桶」がみられます。雛祭りの料理として「蛤汁」が出されるのもよく知られています。

江戸の汐干狩りの中心地は芝浦、高輪、品川、佃、深川洲崎などでした。その海はとうに埋め立てられましたが、近年東京湾もだいぶ綺麗になり千葉、神奈川など東京近郊では浅利を放流して潮干狩りを楽しんでもらう浜もあります。

夕陽が傾きかけ、脛にあたる潮が冷たく感じられるまで夢中で貝を掘る潮干狩りは、獲物を得る喜びと共に、自然を肌で感じられる貴重な体験です。海に触れる機会を多くの人が持つことで海に関心を持ち、海洋ごみなどの問題も少しずつでも改善することを願っています。

蛤汁大口開けてめでたけれ 光枝

浪速の味 江戸の味 2月【丁稚羊羹】

caffe kigosai 投稿日:2023年1月25日 作成者: youko2023年1月25日

「寒天製す」「寒天造る」「寒天晒す」は冬の季語である。天草を水で晒して、煮てから型に流し入れ凝固させる。それを冬の間、屋外に出して、夜間は凍らせ、昼間は解かすを十日ほど繰り返すと寒天ができる。

大阪北部の山地では江戸時代後期から寒天作りが始まり、寒さが厳しい農閑期にさかんに作られてきた。その特産の寒天とこしあんを使って作られたのが「丁稚羊羹」である。水に浸した糸寒天を火にかけ、完全に煮溶かす。そこにこしあんと砂糖を入れてよく混ぜ、沸騰したら火から下ろす。かき混ぜながら冷まし、型に流し入れて固める。固まったら型から取り出して、長方形に切る。

高価だった砂糖をたっぷり使った練羊羹と比べ、砂糖をそれほど使わないので、保存がきく冬に作られ食べられてきた。安価なので、丁稚が里帰りの時に土産にしていたとか、練羊羹に比べ煮詰めが足りない丁稚のようだとかいろいろな説がある。

同じように、寒天を使用した「水羊羹」は夏の季語で、冷蔵庫の普及した現在、夏の贈答品として人気だが、丁稚という名から商家に年季奉公をする年少者のイメージがあり、厳しい冬がふさわしいと思える。

丁稚羊羹は関西地方では馴染みの和菓子だ。ただ、大阪南部の河内地方では、こしあんに小麦粉を加えてこねた後、竹の皮に平らな長方形にして載せ蒸した「蒸し羊羹」を丁稚羊羹と呼ぶ。寒天作りをする寒冷地と南部の地域の特性がよく出ている。どちらも、厳しい冬を耐え、春を待つ丁稚どんが食べてはったんやなと思うとほっこりする。

丁稚羊羹父母が恋しき雪夜かな   洋子

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「カフェきごさいズーム句会」のご案内

「カフェきごさいズーム句会」(飛岡光枝選)はズームでの句会で、全国、海外どこからでも参加できます。

  • 第三十二回 2025年11月8日(土)13時30分(原則第二土曜日です)
  • 前日投句5句、当日席題3句の2座(当日欠席の場合は1座目の欠席投句が可能です)
  • 年会費 6,000円
  • 見学(1回・無料)も可能です。メニューの「お問い合せ」欄からお申込みください。
  • 申し込みは こちら からどうぞ

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スタッフのプロフィール

飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
岩井善子(いわいよしこ)

5月生まれのふたご座。華道池坊教授。句集に『春炉』
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
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