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カテゴリーアーカイブ: 浪速の味 江戸の味

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浪速の味 江戸の味(十二月)【てっちり】(浪速)

caffe kigosai 投稿日:2021年11月21日 作成者: youko2021年11月24日

鍋料理がおいしい季節となりました。大阪では、「ふぐ鍋」のことを「てっちり」と言います。

ふぐは内臓に猛毒をもつものが多く、「てつ」はふぐの異称「鉄砲」からきています。「あたったら死ぬ」ということです。「ちり」は、魚介、野菜、豆腐などを昆布だしで煮て、ポン酢醤油につけて食べる鍋料理の一つです。

新鮮なふぐを求めて、料理屋も一般の消費者も黒門市場に買い出しに行きます。黒門市場は、千日前の繁華街近くにある大阪を代表する市場で、150ほどの店が軒を並べています。いろいろある鮮魚店の中でも、ふぐの専門店が目につきます。

大阪の料理屋では、明治、大正のころから「てっちり」「てっさ」(ふぐの刺身)が冬の魚料理を代表するものになりました。鍋料理の中でも、「てっちり」は高級で、特別感があります。

ふぐをポン酢醤油で食べると、そのぷりぷりとした食感と、淡白ながら旨味がぎゅっとつまっていて「幸せ~」と食レポができそうなくらい笑顔になります。

 

てつちりや今日はええ日と言ひ合うて   洋子

 

浪速の味 江戸の味(十一月) 葱鮪鍋【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2021年10月21日 作成者: koka2021年10月22日

葱鮪鍋は、字のごとく葱と鮪のシンプルな鍋です。鮪は江戸時代末期に広く食べられるようになりましたが、足が早く、赤身は「漬け(ヅケ)」にして江戸前寿司の重要なネタとなりました。脂身(トロ)は醤油をはじいてしまうので漬けにはできず、肥料にされるか破棄されていたそうです。

そのトロを江戸の庶民が工夫したのが葱鮪鍋です。より簡単に吸物仕立てにした葱鮪汁も好まれました。鍋はとてもシンプルで、鮪の相方はほぼ葱のみ。江戸の周辺には千住をはじめ葱の産地が多かったことも、手軽に作れる助けになったことでしょう。

江戸落語に「目黒の秋刀魚」と同じ作りの「ねぎまの殿様」があります。この落語には江戸庶民の姿が生き生きと描かれています。「ねぎま」を早口で言うので殿様には「にゃっ」と聞こえたり、ぶつ切りの葱を熱いのも構わずかぶりつくので熱々の葱の芯が飛び出して大騒ぎしたり(葱の鉄砲)、鍋を囲んで座るのは醤油樽だったり。

東京には浅草や深川などに葱鮪鍋を出す店があります。深川の汐見橋にほど近い店のご主人は、葱が鉄砲にならないように斜めに切るなどこだわりの葱鮪鍋を出しています。

木枯らし1号の話題が出はじめた東京、少し冷たくなった川風に吹かれながら、葱鮪鍋をいただきに出かけましょうか。
  
喧嘩も恋も膝つきあはせ葱鮪鍋  光枝

浪速の味 江戸の味 10月【秋鯖】(浪速)

caffe kigosai 投稿日:2021年9月21日 作成者: youko2021年9月21日

食欲の秋です。秋鯖がおいしい季節です。

若狭街道は、若狭湾に臨む福井県小浜から、滋賀県朽木、花折峠を越えて京都へ続く街道です。別名、鯖街道と呼ばれています。

小浜港は江戸時代、北前船が運んでくる物や、日本海の魚介類の水揚げなどで賑わっていました。鯖が水揚げされても、「鯖の生き腐れ」というように、鯖は非常に腐りやすく売り物としての扱いが難しかったので、塩鯖にして京都まで急いで運んでいました。それが若狭街道が鯖街道と呼ばれる所以です。また、若狭では「浜焼き」といって鯖一尾を串刺しにして丸焼きにして、生姜醤油などをつけて豪快に食べたり、鯖を一年間糠漬にした加工食品の「へしこ」が名産として売られています。

鯖鮓といえば、酢で締めた鯖の棒寿司を思い浮かべますが、秋になると、焼鯖鮓が食べたくなります。三枚下ろしにした秋鯖を油と落としながらからっと焼き、鮓飯を棒状にした上にのせて、しっかりと形を整えます。

先日、小浜の焼鯖鮓を買ったのでご紹介しました。我が家では、一塩の鯖を焼き、片身をほぐしてフライパンで炒りつけ、酢飯に混ぜ込んだ簡単焼鯖鮓を作りました。梅干の蜂蜜漬けをアクセントに一緒に混ぜています。

油ののった秋鯖は焼鯖鮓によく合います。

香ばしく焼きし秋鯖棒鮓に    洋子

浪速の味 江戸の味(九月)目黒のさんま【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2021年8月19日 作成者: mitsue2021年8月19日

「秋刀魚」は日本の秋を代表する魚です。太平洋に広く分布する秋刀魚は、夏に千島沖に集結し八月下旬には日本列島に沿って南下をはじめます。この頃の秋刀魚は脂質が20%にもなっているということで、焼く時の煙の多さが秋刀魚の秋刀魚たる油煙、いや所以。

古典落語「目黒のさんま」の舞台、東京都・目黒界隈は、将軍が鷹狩に訪れる農村地帯で海とも魚とも縁のない内陸部、現在でも鷹番という地名が残っています。「目黒のさんま」は鷹狩に訪れた殿様の話です。

お供が弁当を忘れたため空腹に苦しむ殿様は、匂いに誘われて農家で焼いていた見知らぬ棒のような魚(もちろん秋刀魚)を所望。止める家来を振り切って、直火で焼いた黒焦げの秋刀魚にかぶりつきます。するとその美味なること、殿には忘れられない味となりました。

屋敷に戻った後も、殿様は秋刀魚を熱望。仕方なく家来は日本橋の魚市場から新鮮な秋刀魚を仕入れますが、食べやすさを考えて、秋刀魚の脂と小骨すっかり抜き、身の崩れた蒸し魚にして殿様の御前へ。そのあまりの不味さに殿様は「この秋刀魚はいずこで求めた」日本橋ですとの家来の返事を聞くと「それはいかん、秋刀魚は目黒に限る」。

この原稿を書いている今日、今年の秋刀魚の高値がニュースで流れました。地球温暖化と近隣諸国の乱獲で漁獲高が年々減っている秋刀魚ですが、この秋もぼうぼうと脂を燃やして焼き上げた秋刀魚を味わいながら、昔の殿様を思い起こしたいものです。これが本当の「往時茫々」、お後の用意がよろしいようで・・・

この国は煙ぼうぼう秋刀魚かな  光枝

浪速の味 江戸の味 8月【祭鱧】(浪速)

caffe kigosai 投稿日:2021年7月22日 作成者: youko2021年7月22日

梅雨が明け、一気に暑くなってきました。梅雨が明けると、関西では祭が続きます。日本三大祭の二つ、祇園祭、天神祭でさらに熱気が高まります。

祇園祭では山鉾巡行、天神祭では陸渡御、船渡御という祭の見どころが、コロナ禍のため去年に続き行われません。人の流れを増やさない対策であるのはわかりますが、やはり寂しいです。ただ今年の祇園祭では、巡行はないものの、半数ほどの山鉾が建てられ、午後7時までは鉾提灯が灯り、宵山の雰囲気が少し味わえました。二年続きで、祭がこの様なことになるとは思いもしなかったことです。

天神祭は、菅原道真の霊を鎮める祭として、平安時代から続いています。大阪天満宮のそばの大川から神鉾を流し、流れついた所に斎場を設け、禊祓を行いました。その時、船を仕立てて迎えたのが船渡御の始まりと言われています。

本来であれば、7月25日に本宮を出た催し太鼓、神輿、行列が大川のほとりを歩く陸渡御が行われ、夜になれば奉安船、お迎え人形船、どんどこ船など百を超える船が大川に繰り出す船渡御が行われ、クライマックスには奉納花火が打ち揚げられるのです。水の都にふさわしい華やかな祭です。

そんな関西の祭には、旬の鱧料理がかかせません。その呼び名も祭鱧。骨切りをした鱧をつけ焼きにしたり、湯引きにして酢味噌や梅肉酢で食べたり、天ぷら、鮓にしても美味しいです。来年こそ本来の祭が行われることを祈りつつ、祭鱧で祭気分に浸りたいと思います。

懐かしき船渡御の灯よ祭鱧    洋子

浪速の味 江戸の味(七月) 江戸前にぎり寿司【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2021年6月21日 作成者: mitsue2021年6月21日

「鮓」はもともと魚類の保存方法のひとつで、古くから塩づけや粕づけが行われていました。魚を飯に漬けて発酵させた「熟れ鮓」は全国にあり、近江の鮒鮓はよく知られています。熟れ鮓を夏に漬け込むので「鮓」は夏の季語になったと言われます。
 
元禄時代になると飯に酢を加えた「早鮓」が生まれ、江戸前のネタを使った「にぎり寿司」が江戸っ子に大人気となりました。ちなみに「寿司」というお目出度い当て字は江戸で生まれたそうです。

当時のにぎり寿司は、おにぎりほどの大きなもので屋台で売られていました。それをひとつふたつ頬張ってさっと帰るのが粋と言われ、せっかちな江戸っ子にはぴったりの食事でした。

江戸前のにぎり寿司の特徴は、ネタを調理して使う、いわゆる「仕事」がしてあることです。小鰭の酢〆、鮪のづけ(醤油漬け)、穴子の煮物などがよく知られています。もともとは冷蔵技術が無い時代の知恵でしたが、現代ではこの丁寧な仕事が江戸前寿司の人気をより高めているのではないでしょうか。

江戸前にぎり寿司の夏のネタに「新子」があります。ニシン科の新子は出世魚で、大きくなるにつれ「コハダ」「ナカズミ」「コノシロ」と名前が変わります。「新子」が出まわるのは夏の三週間くらいと限られているうえに、身が小さく、一貫に多くの新子が使われるため、お値段もなかなかになるとか。新し物好きで見栄っぱりな江戸っ子をまねて一度はいただいてみたいものです。

川風にゆるる暖簾や鮓の見世  光枝

浪速の味 江戸の味 六月【泉州たまねぎ】(浪速) 

caffe kigosai 投稿日:2021年5月22日 作成者: youko2021年5月22日

新たまねぎがおいしい季節です。この辺りでは、泉州(大阪南部)たまねぎと淡路島産のたまねぎが人気です。

たまねぎの原産地はペルシャ地方といわれ、古代から食べられていたようです。日本には、明治4年に米国から初めて輸入され、明治5年頃、土質の適していた北海道で栽培に成功しました。

現在の岸和田市土生町の農家に生まれ、大阪府の勧業委員をつとめていた当時19歳の坂口平三郎(1861~1897)が、明治12年9月に神戸の外国人居留地のアメリカ人からたまねぎを分けてもらい、自宅の土塀のわきに植え付けたのが泉州たまねぎの始まりです。明治初期の農村は、それまでの米納から現金で税金を納める仕組みに変わりました。平三郎は、収益の上がる新作物の導入に努めていました。自力で試験農場を開設し、たまねぎの採種栽培を試みました。そして、農業雑誌を通してたまねぎの有用性と栽培法を全国に広めました。そして、品種改良をしたたまねぎは明治30年には泉州地方の特産品になりました。

たまねぎの主成分は、糖質が約8%。約90%は、水分です。特有の刺激性の香気は、硫化物、アルデヒドなど。硫化物は、辛味があるので、たまねぎを切ると硫化物が揮発して目を刺激して涙が出ます。硫化物は、加熱すると甘味の強いプロピルメルカプタン(砂糖の50倍~70倍といわれる)に変化するので甘味が増します。

洋食に、和食に、中華料理にと甘味、辛味を生かしていろいろ使えますが、この季節の瑞々しい新たまねぎは生食がお勧めです。三杯酢に漬けた新たまねぎはサラダにあえ物にと重宝します。

朝食のたまねぎサラダ輝いて   洋子

 

 

浪速の味 江戸の味(5月) 初鰹【江戸】

caffe kigosai 投稿日:2021年4月20日 作成者: mitsue2021年4月20日

江戸っ子の初物好きはよく知られるところですが、なかでも「初鰹」は特別だったようです。

青葉の頃に相模湾、鎌倉沖で獲れた初鰹は、早舟、早馬で日本橋まで運ばれ、まず将軍様に献上されました。その残りを大名や豪商、高級料亭などが高値で買い取ったそうです。

歌舞伎役者の中村歌右衛門が三両で買った初鰹を、大部屋の役者にふるまった話は有名です。庶民も、少し待てば安くなるのは承知の上で初鰹を食べるのに躍起になったようです。

浮世絵には天秤棒を担ぎ威勢よく初鰹を売る魚屋や、軒先で魚屋がさばく鰹を皿を手に待つ女房達の様子が生き生きと描かれ、初鰹に心躍らせる江戸っ子の気持ちが伝わってきます。

現代の東京に出回る鰹は千葉県で水揚げされたものが多く、今年(2021年)の初鰹は外房の勝浦漁港で1月27日に水揚げされました。一番船は三重県志摩市の鰹一本釣り漁船で、小笠原諸島南方で鰹の群を探し当て釣り上げたとのことです。

黒潮に乗って関東沿岸を北上する鰹を獲つた江戸時代と違い、大型漁船が遠洋の漁場から冷蔵して運ぶ現代では、初鰹は初夏のものという感覚が鈍ってしまいそうです。とはいえ黒潮に乗って上ってくる姿に、夏の生命力を感じるのは、いつの時代も同じではないでしょうか。

写真は、4月中旬の勝浦漁港で揚がった鰹。この時期は町中の魚店でも切り身だけでなく一本鰹が売られています。

初鰹潮はじきて上り来る  光枝

浪速の味 江戸の味 四月 イカナゴのくぎ煮(浪速)

caffe kigosai 投稿日:2021年3月21日 作成者: youko2021年3月22日

イカナゴは成長すると20cmほどになる小魚です。関西では、1月ごろ孵化し3月の初めごろ、4cmほどになったイカナゴをシンコと呼びます。シンコの大きさになるとイカナゴ漁の解禁です。

瀬戸内で獲れたシンコが明石の漁港などに水揚げされます。明石の商店街にはキロ売りのシンコが並びます。神戸や大阪の人は、イカナゴ漁の解禁を待って「くぎ煮」を作るためシンコを買いに行きます。大鍋で「くぎ煮」を作るのが春の楽しみです。

買ってきたシンコはまず、ざっと水洗いします。笊にあけて水気をとります。大鍋に醤油、みりん、酒、ザラメを煮立たせ生姜のみじん切りを入れます。シンコは小分けにしてぱらぱらと入れてゆきます。強火で15分ほど灰汁を取りながら煮こみますが、決してかき混ぜません。シンコが折れるのを避けるためです。さらに落とし蓋をして煮汁がなくなるまで煮詰めます。最後に鍋を振って上下を返して仕上げます。つやつやと釘のような形に仕上がるので、まさに「くぎ煮」だと実感します。

近年はイカナゴの不漁が続き、スーパーの魚売り場でも午前中に売り切れの札が出ていました。今年のイカナゴ漁は3月6日に解禁になりましたが、はや20日に打ち切りになりました。貴重な水産資源を守るためです。イカナゴのくぎ煮は関西の春を代表する料理です。炊きたてのご飯にもお酒のおつまみにもよく合います。

大鍋にくぎ煮につまる春の昼   洋子

浪速の味 江戸の味 三月 【海苔・助六所縁花見弁当】(江戸)

caffe kigosai 投稿日:2021年2月21日 作成者: mitsue2021年2月21日

東京湾の海苔篊

私の両親はともに兵庫県の山間部出身で、子供のころは帰省のたびに「浅草海苔」を持って親戚を訪ねていました。昭和30年代後半のことです。

そのころの日本の食卓に海苔は欠かせないものでした。米をより美味しくしてくれるだけでなく、タンパク質、ビタミン、カルシウム、タウリンなどが豊富で食物繊維もとれる優秀な食品です。

海苔の採取は冬から春に行われます。11月から12月の早い時期に採れた「新海苔」は冬の季語、植物としての「海苔」や「海苔掻き」「海苔舟」「海苔干す」などの一連の作業は春の季語となっています。

日本人と海苔との付き合いは古く、平安時代の書物に早くも登場します。養殖されるようになったのは江戸時代中期とか。現在の東京都大田区大森から品川にかけての江戸湾で始まったといわれています。江戸期の海苔作業の様子は、冬から春の風物詩として多くの浮世絵に描かれています。

大森の良質な海苔は「御膳海苔」として将軍家に献上されました。海苔づくりの技術は江戸時代後期に各地に広まり、江戸前海苔の旨さは「浅草海苔」の名で全国に知られるようになりました。

大森周辺は明治から昭和初期にかけて日本一の生産地になりましたが、昭和30年代には東京湾の水質が悪化。埋め立て計画も浮上して、大森漁業協同組合は漁業権を放棄。250年続いた大森の海苔づくりは、昭和38年春をもって終りを迎えました。しかし現在でも大森には50軒ほどの海苔問屋があり、全国から集まる海苔の目利きとしての役割をはたしています。

「海苔巻き」と「稲荷寿司」の詰め合わせを「助六寿司」と呼ぶようになったのは江戸時代中期とのこと。稲荷寿司の油揚げの「揚げ」と海苔巻きの「巻き」を、歌舞伎十八番「助六所縁江戸桜」に登場する花魁「揚巻」にひっかけたわけです。なんとも江戸っ子らしい洒落ですね。

昨年はお預けだった賑やかなお花見、今年は花の下で「助六寿司」でもつまみながら楽しみたいものです。(光枝)

深々と海苔の眠るや銀の缶  光枝

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「カフェきごさいズーム句会」のご案内

「カフェきごさいズーム句会」(飛岡光枝選)はズームでの句会で、全国、海外どこからでも参加できます。

  • • 第二十八回 2025年7月19日(土)13時30分(今月は第三土曜日です)
  • 前日投句5句、当日席題3句の2座(当日欠席の場合は1座目の欠席投句が可能です)
  • 年会費 6,000円
  • 見学(1回・無料)も可能です。メニューの「お問い合せ」欄からお申込みください。
  • 申し込みは こちら からどうぞ

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スタッフのプロフィール

飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
岩井善子(いわいよしこ)

5月生まれのふたご座。華道池坊教授。句集に『春炉』
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
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