秋の七草のひとつである尾花、すなわちススキの原産地は日本。葉は一般的な緑の他、園芸種では横に薄い黄の斑のはいった(タカノハススキ)、また縦縞の(縞すすき)などがあります。穂がつんと出て開き、たれれば風になびき、やがてほうけ、折々に表情を変えていきます。
昨年10月、ローマで開かれる和食を広める夕食会にぜひいけばなを、という依頼が日本大使館からありました。外国でいけばならしいくいけるとなれば、いけばなの3つの要素、つまり、線、色 塊のうちなんといっても線のものが必要です。大使公邸の庭で、代々の11人の大使に仕えたイタリア人庭師のIさんの案内でさまざまな枝を入手。最後に穂の出たススキを大きな株からたくさん切らせていただき、葉が丸まらないようにすぐに古新聞に包み、水を入れたバケツにつけました。
会場は今では元貴族のプライベートなクラブとなっているボルゲーゼ家の館。内部の写真は絶対撮ってはならぬと何度も念をおされました。ローマの町に陽の落ちはじめる頃、天井の高い声のよく響く二階の会場に花材をもって入ったとたん、豪華な調度や気をつけてといわれた大きく下がったシャンデリアより、吸い寄せられるように目がひきつけられたのは正面の一枚の肖像画。100号くらいのキャンバスに描かれていた人物は、白い羽織とはかまをつけ、髷を結い上げている、まさしく日本人でした。外国の画家の筆によると日本人の目は細く描かれがちですが、その人物は丸い目でこちらをじっと見ているように思えたのでした。
(支倉常長の肖像画といわれています。ここローマに滞在中に描かれたそうです。)
それはまったく予期せぬ名前でした。
400年前に石巻の月浦をたち、メキシコへ、そののちスペイン、ローマと渡っていった支倉常長ひきいる慶長遣欧使節団。何故この館に支倉の肖像画があるのかは私の知識ではすぐには理解できませんでした。人物の白い袴には草のような植物が描かれていて、遣欧使節団は、斬新なデザインのものを用いたことでも有名な伊達政宗の特命をうけたことを思い出させました。
ともかく元貴族の皆さんの集まってくるカクテルの始まる30分前には花を仕上げなくてはなりません。ヨーロッパと日本から集まってきてくれた私の生徒とご主人たちも加わり,ちょうど支倉の肖像画を両方から挟むように竹を立て花をいけると、まるで肖像画に献花をしたようになりました。葉のふちで手を切らないようにいれたたくさんのススキは、その葉の線で繊細な動きを作品に与えていました。
テーブルの上にもなにか、というシェフの突然の要望が出たときはすでに花器を全部使用したあとでした。急遽公邸の古くなった漆塗りのお盆をもちこみ、水を張って日本から何かの折に使うかもと持参した金箔を浮かせその水の面にススキを渡し、菊の花を浮かせました。
今年になってのこと、伊達政宗の特集があるということでテレビをつけた私は、思わず画面に釘付けになりました。支倉常長がローマ法王にと伊達政宗から預かってきた親書が映し出され、紙には政宗の筆に金箔や退色していたものの銀箔がちりばめてありました。その親書を入れていた文箱は黒い漆塗りで、大胆な構図で牡丹に唐草、そして線は細いけれどススキが露をのせて描かれていたのです。その箱にはあとからつけられたであろう茶色になった紙がタグとしてついていました。一瞬でしたが記された字を私は見逃しませんでした。(Borghese)その文箱はボルゲーゼ家の所有だったということに間違いありません。
私がいけた場所は、あちこちにいくつもあるとはいえ、まさにローマの中心にあるボルゲーゼの館そのものでした。(当時の法王パオロ5世はボルゲーゼ家の出身なので、ボルゲーゼ家が文箱をもっていたことは十分ありうるでしょう)と、大使館の若き優秀なイタリアの専門官が説明してくれました。
洗礼をうけた支倉常長はその後日本に帰りますが、そのときキリスト教は禁止されていました。彼は50代のはじめ失意のうちにこの世を去った事になっています。しかし一説には、彼はその後人里はなれたところで30年も生き延びたとも言われています。
ヨーロッパにいたときは、彼はきっと抑えられないくらいの好奇心をもって世界を見ていたのにちがいありません。だから実際にあんな丸い目の印象を画家がもったのでしょうか。それとも何百年もの間、絵の中の常長は日本のいけばなを捧げられた事がなかったので、驚いていたのかもしれないと私は勝手な推測を巡らせたのです。
ススキは銀色の穂もほうける頃になると、芒と書いたほうがふさわしく思えてきます。しかし文箱に描かれた金の薄は枯れはてて(芒)となることはなく、これからもあのままに、そして大切に保管されるのに違いありません。
ローマのススキが支倉常長へ、彼をつかわした伊達政宗へ、そしてあの時代へと、興味と好奇心の道をつけてくれました。支倉常長から、400年後の私にメッセージがとどけられた気さえします。
かの肖像画の衣装に刺繍された植物もススキと聞くと、支倉常長はやはりあの晩、あの場の花材にどうしてもススキをご所望だったのではないでしょうか。そんな気がしてきます。(光加)