↓
 

caffe kigosai

カテゴリーアーカイブ: 今月の季語

投稿ナビゲーション

← 古い投稿
新しい投稿 →

今月の季語〈十二月〉 冬の月

caffe kigosai 投稿日:2021年11月17日 作成者: masako2021年11月18日

今年の秋は長雨と台風の影響であったのか、金木犀が二度に分けて香るという不思議な現象がありました。三度香った所もあったとか。山茶花も異様に早く咲き出しましたし、すべて人類の招いた温暖化に起因するのかと心が痛みます。そんな中にも、月だけは堪能できた秋でした。名月も後の月も天気には恵まれ、実に美しく仰ぐことができました。

この稿を書いている十一月八日は月と金星が大接近。このあと十日には土星に近づき、その後は木星に近づくのだとか。月蝕や流星群の観測もできますし、天体好きにはこの上ない季節の到来です。

立冬過ぎに仰ぐ月は〈冬の月〉です。

此木戸や錠のさゝれて冬の月     其角

この句が『猿蓑』に収められたときの経緯が『去来抄』に記されています。最初「此(この)木戸(きど)」が「柴(しばの)戸(と)」に読めてしまったのだとか。間違いに気付いた芭蕉は、これほどの名句は版木を彫り上げた後であっても修正すべきである、と改めさせたのだそうです。

冬の月かこみ輝き星数多        高木晴子

冬の月より放たれし星一つ       星野立子

月と星の取り合わせの句は、シーズン中の句会に一再ならず見かけます。先行句要チェックでしょう。

次に見し時は天心冬の月        稲畑汀子

秋のようにずっと外で仰ぐことはなく、思い出したように外に出ると月はもう触れられそうにないほど遠く高くに。

冬三日月わが形相の今いかに      鳴戸奈菜

霊寄せの冬満月の上り来ぬ       井上弘美

と月の形を示しながら詠むこともできます。

雪嶺に三日月の匕首飛べりけり     松本たかし

この句は月自体が季語になってはいませんが、「匕首」とは冬の三日月なればこそ。

〈月冴ゆ〉〈月凍る〉を用いることもできます。

月冴ゆる石に無数の奴隷の名      有馬朗人

月凍てて千曲犀川あふところ      福田蓼汀

月自体も冴え冴えとしていますが、視界も非情なほどに照らし出されています。

毟りたる一羽の羽毛寒月下       橋本多佳子

寒月やひとり渡れば長き橋       高柳重信

寒月下あにいもうとのやうに寝て    大木あまり

K音の響く〈寒月〉は耳にも寒い季語かもしれません。多佳子の句には、昼間は走り回っていた鶏が夕べに饗され、あとには……というエッセイがあります。重信の句は「ひとり」の影があまりにけざやか。孤心が募りゆきます。あまりの句の「あにいもうと」ではないふたりは夫婦でしょうか、恋人同士でしょうか。読者の数だけ鑑賞のしかたがありそうです。私は、心の寄り合うさまを思いますがいかがでしょう。

大寒の月光浴といふものを       黒田杏子

このときの月は寒満月と解してよいでしょう。三日月の匕首と同じく、季語の使い方の自在さを学びたいものです。(正子)

今月の季語〈十一月〉 十一月

caffe kigosai 投稿日:2021年10月17日 作成者: masako2021年10月18日

封をされたまま放置されたような二〇二一年でしたが、はや〈冬〉となりました。

中年や独語おどろく冬の坂               西東三鬼〈三冬〉

冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ               川崎展宏

今年の〈立冬〉は十一月七日。ちなみにその夜は三日月です。このところ月moonの季語を追ってきましたが、今月から月は〈冬の月〉となります。

立冬のことに草木のかがやける                   沢木欣一〈初冬〉

生きるの大好き冬のはじめが春に似て       池田澄子

耳鳴りは宇宙の音か月冴ゆる                      林 翔〈三冬〉

とはいえ〈十一月〉はまだまだ暖か。「冬のはじめが春に似て」とはそのものずばりです。

あたゝかき十一月もすみにけり                中村草田男〈初冬〉

草田男も十一月はあたたかいと言っています。十二月に入るにあたり、さあいよいよ冬本番と覚悟を決めたのでしょうか。年の瀬を意識せざるを得ない頃合でもあり、その年の過ぎた日々への未練を感じるのは私だけでしょうか。

邂逅の心集へば冬ぬくし                          稲畑汀子〈三冬〉

冬ぬくきことも不安となる世かな              馬場駿吉

新型コロナ感染者数が激減している現在只今の私たちの心情に合致しそうな句を見つけました。 もちろんそういう句ではないのですが。

〈冬ぬくし〉は寒いはずの冬の暖かさを本来は喜ぶ季語です。昨今の温暖化により、受け止め方が変則的になってきていますが、本意を念頭に読めば、季語の効き目がより明らかになるはずです。

 

さて、冬のあたたかさをこの上なく愛でる季語があります。

 

玉の如き小春日和を授かりし                 松本たかし〈初冬〉

 

〈小春日和〉の〈小春〉とは陰暦十月(ほぼ陽暦十一月)の異称、月monthの名前です。つまり小春日和とは十一月のよき日和、という意味ですから、初冬限定の季語となります。三冬使える〈冬ぬくし〉とはその点がまず異なります。

そして「玉の如き」の句の効果とも言えそうですが、つやつやの玉(ぎょく)のようなめでたさがあります。小春日和から温暖化を連想する人はいないのではないでしょうか。

水底の砂も小春の日なたかな                    梅室

小春日やりんりんと鳴る耳環欲し            黒田杏子

小六月花のももいろ朱にまさり               飯田龍太

水底にも日なたがある、という第一句。明るい砂が見えているのでしょうか。真昼の太陽がとろんと映っているのでしょうか。いずれにしても水に激しい動きはなさそうです。

第二句は、小春日より木枯が好きだったという作者の三十代の句。りんりんは心の響きでもあるでしょう。

十一月には朱より「ももいろ」が適っているという第三句。十一月はももいろのあたたかさなのかもしれません。

〈十一月〉の字音数は六音です。面白いリズムの句が詠めそうでもありますし、音数を持て余しそうでもあります。似た意味合いで音数の異なる季語はこのようにいろいろあります。選ぶ楽しみも堪能してみてください。(正子)

 

今月の季語〈十月〉 後の月

caffe kigosai 投稿日:2021年9月17日 作成者: masako2021年9月20日

初秋には〈盆の月〉を、仲秋には〈名月〉を、そしていよいよ晩秋の〈後の月〉を仰ぎます。盆の月と名月は十五夜の月をめでましたが、後の月は満月に二夜早い十三夜の月のことです。秋季最後の月なので〈名残の月〉ともいいます。今年の後の月は十月十八日。晴れますように。

例年名月のころにはまだまだ残暑にあえぎ、後の月のころになってようやく一息ついていましたが、今年は秋の進行が早く、十月にはもう肌寒さを覚えそうです。

みちのくの如く寒しや十三夜   山口青邨

窓ごしに赤子うけとる十三夜   福田甲子雄

わが影の真中がうすし十三夜   西山 睦

十三夜といえば真っ先に思い出すのが青邨のこの句。みちのく出身の青邨が「みちのくの如く」というのですから、この夜はしみじみと冷えたに違いありません。第二句は馥郁とした赤子の香りや重みとともに温もりをうけとった句でしょう。赤子の身になってみれば、宙吊りを楽しんだ(もしくは怖がった)のちの安心感でしょうか。第三句の「影」は実際にうすいというより、身体の芯がやや冷える感覚を視覚へ転化したのではないでしょうか。

入つてくるなり後の月うつくしと 辻 桃子

りりとのみりりとのみ虫十三夜  皆吉爽雨

道すがら後の月をめでてきた人と室内にいた人と。宴を開くどころか、もう外に出てもいなかったことが推測されます。爽雨は、もう時雨にはならない虫の声を詠んでいます。あれほどのボリュームで鳴いていたのに。聴覚が淋しくなってきたら、闇の量が増えたようにも思いませんか?

月白もなく上りけり後の月    草間時彦

山の端に残照とどめ十三夜    岡田日郎

待つでもなく気付いたらもう上っていた第一句。日の入りも早くなったけれども、満月より月の出が早く、なお残照がという第二句。

これらは同時に身ほとりの静謐を語っている気もします。

皿小鉢洗つて伏せて十三夜    鈴木真砂女

墨磨れば墨の声して十三夜    成田千空

かたと擱く筆音の澄み十三夜   大橋敦子

身を以て沈黙の金後の月     丸山海道

真砂女には皿小鉢が、千空、敦子には墨と筆が身に添うものなのでしょう。かそけき音に思わず耳を澄ましてしまいそうです。

麻薬うてば十三夜月遁走す    石田波郷

どこまでも豆名月ののぼるなり  大峯あきら

胸を病んだ波郷が仰ぐのは療養所の窓の月です。雲が走る夜だったのかもしれませんが、「麻薬」のせいでと詠み切る作家魂に思わず背を正します。十三夜の月には豆や栗を供えもするので〈豆名月〉〈栗名月〉の名もあります。「豆」の文字を見ると「どこまでも」のぼって天空にぽっちり懸かる、豆のような月をおのずと想像しそうです。

次の二句は樋口一葉の『十三夜』を踏まえています。

一葉に十三夜あり後の月     富安風生

十三夜幸田弘子の立姿       黒田杏子

俳優「幸田弘子」は樋口一葉作品の朗読の第一人者でした。昨年(二〇二〇年)十一月、八十八歳でお亡くなりになりました。(正子)

 

今月の季語(9月)月(2)

caffe kigosai 投稿日:2021年8月18日 作成者: masako2021年8月19日

熱帯夜が続いてどんよりと濁った空気も、いつしか透き通り、月や星の光がまっすぐに届くようになってきます。今年の名月は九月二十一日です。その日の月齢は14・1なので、少し満ち足りないように見えても錯覚ではありません。翌日の十六夜の月のほうがまん丸に見えることでしょう。

〈花/桜〉のときと同じことわりで、私たちは〈月〉に対しても「待つ」ということをします。幼いころ、夜ごとに空を仰ぎながら、月が育ちゆくさまを観察したことはありませんか? 詠むことはなかったかもしれませんが、あれはすでに「待つ」行為であったわけです。

初月やまだ真青なる楡の空       古賀まり子

あら波や二日の月を捲いて去る     正岡子規

吾妻かの三日月ほどの吾子胎すか    中村草田男

弓張の月片割れは池に落つ       峯尾文世

朔の月は肉眼で確かめることはできませんが、か細い月を目にすることはあります。これを陰暦八月のみ「初」をつけて〈初月(はつづき)〉と呼びます。月は夜ごとに太りゆき、また、日没のあとに月が空にある時間も長くなっていきます。草田男の句は〈三日月〉を比喩に使っていますが、空にかかる月を指して「ちょうどあのくらい」と思ったのでしょう。やがて月満ちて子が誕生することを意識しながら。〈弓張月〉は弓を張ったように見えることによる呼称。〈半月〉のことです。第四句は月が弓矢で射られ、半分が池に落ちたような面白い詠みぶりです。

陰暦八月の上弦の月(右側が丸い半月)のころまでの、宵に現れ夜半には没する月を指して〈夕月・宵月〉と呼びます。

昼からの客を送りて宵の月            曽良

風に騒ぐ心や須磨の夕月夜            京極杞陽

陰暦八月十四日の夜、つまり十五夜の前夜を〈待宵(まつよひ)〉といいます。この日の月は〈待宵の月〉〈小望月〉です。

待宵や女主に女客                蕪村

婚約のふたりも椅子に小望月           及川貞

そしていよいよ陰暦八月十五日となります。〈十五夜〉です。この夜の月を〈名月〉〈明月〉〈望月〉〈満月〉〈今日の月〉〈芋名月〉等々と呼びます。いかに心待ちにしてきたかが呼称の多さからも推察できるでしょう。

名月や池をめぐりて夜もすがら     芭蕉

けふの月長いすゝきを活けにけり    阿波野青畝

真向に望月あげし村芝居        木附沢麦青

さて「月を待つ」にはもう一つ、その日の月の出を待つ意があります。どの日でもよいわけではありません。十五夜の月の出を、特別なしつらえをして待つのです。青畝のように「長いすゝき」を活けたり、団子を盛ったり、地方やその家ならではの供え物があることでしょう。〈月見〉〈月の宴〉〈月祀る〉〈月の座〉……季語もいろいろあります。人の営為ですからこれらはすべて「生活」の章に収められています。

岩鼻やここにもひとり月の客       去来

やはらかく重ねて月見団子かな      山崎ひさを

三人のふだんの友と月見かな       鈴木花蓑

名どころの何処選まん月見酒     高橋睦郎

新宿の最上階に月祭る         上田日差子

月祀る何もなけれど窓浄く       岩田由美

季語ごとに項目ごとに詠むこともできますが、これらを大きく包むように詠み上げた句があります。

月を待つ情(こころ)は人を待つ情  山口青邨

俳句を詠むときは対象に深く感情移入しています。ときには憑依することもあります。詠む対象が人でなくても(たとえ無機物であっても)、意識下で人(有機物)と同じように捉えているのです。などと理屈をこねること自体が恥ずかしくなるほど、朗々と天翔る一句であると思います。(正子)

今月の季語(八月) 盆の月

caffe kigosai 投稿日:2021年7月18日 作成者: masako2021年7月18日

八月は旧暦と新暦の差異をあまり感じない希有な月です。立秋を過ぎても夏休みと呼ぶなど、そもそも違和感を内包している月ともいえそうですが。夏なのか秋なのかと考えるより、どちらの季語も自在に駆使しながら向き合いたいものです。

〈盆の月〉は歳時記の定義としては旧暦七月十五日の月ですが、八月の月ととらえてこの稿を進めます。現役の方々にとってはお盆休みに帰省するころの月となりましょうか。立秋過ぎですがまだまだ暑く、虫に刺されながら仰ぐ月です。

浴(ゆあみ)して我が身となりぬ盆の月   一茶

昼間の汗を流してすっきり。ようやく自分の身体を取り戻したという感覚は昔も今も同じようです。

さむしろや門で髪ゆふ盆の月    蓼太

「さ」は接頭辞。「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(『古今集』)などと使います。「さむしろ」を敷いて髪を結うのは宇治の橋姫? いやいや深窓ならぬ「門で」ゆえ、「さむしろ」もさぞかし「狭」い「筵」に違いない、といったところでしょうか。句意はさておき、家うちは暑いけれども、夜の屋外はしのぎやすい気温になっているのです。

身ほとりを固き翅音盆の月   ふけとしこ

裏口に草木の匂ひ盆の月      鷲谷七菜子

盆の月草の山より上りけり     大峯あきら

第一句の翅は虫のはねに使う漢字です。何の虫でしょう。甲虫が過ぎるだけならよいのですが、あまり嬉しいものではない気がします。第二句第三句からは盆の月の若さを感じます。実際には私たちの周りが青々としているだけなのですが、月からも熟す前の青い匂いがしてきそうです。

盆の月しばらく兄と語りけり   黒田杏子

帰省したときの句と受け止めていますがどうでしょう。〈盆三日あまり短し帰る刻  角川源義〉という句もあるように、帰省はするとなると忙しないのですが、してしまうともう戻りたくない。里の家にはいつもと違った時間が流れているようです。

ちちははと住みたる町や盆の月   上野章子

父母ありてこの世まつたし盆の月 上田日差子

盆の月は父母とセットになっているともいえそうです。二句ともに、過ぎてから顧みると切ない句です。

ふるさとに墓あるばかり盆の月   鈴木花蓑

盂蘭盆の供養の句にも月がしばしば登場します。

香煙の中に月あり盆大師       五十嵐播水

盆の島月にどうどう太鼓うつ    橋本美代子

望月や盆くたびれで人は寝る    路通

第一句はお大師さまの境内の景。人々が一斉にくりだし、香煙がたちこめています。第二句は島の盆踊でしょうか。第三句は盆の行事にくたびれて寝静まった下界を照らす満月です。

昔「まあるいまあるいまんまるい 盆のような月が」と歌った記憶がありますが、旧暦の盆の月は十五日の月ですから、まさに盆のような月です。新暦の場合は(休暇取得の都合が重なれば更に)いろいろな形になりそう。この点だけは「差異」を免れないようです。(正子)

 

今月の季語(七月) 夏の星

caffe kigosai 投稿日:2021年6月17日 作成者: masako2021年6月17日

月の季語を追う途中ですが、今月は星の季語を挟むことにしましょう。

〈夏の風〉〈夏の月〉のときと同様に、夏期の星をさす季語に〈夏の星〉があります。

アラビヤの空を我ゆく夏の星          星野立子

嘴あらば銜へむ夏の星赤し           正木ゆう子

子へ与ふ一字探しぬ夏の星             辻 美奈子

明治生まれの立子ですが、渡航経験は豊富です。アラビヤを目的地としたことはなさそうですから、インドからヨーロッパへ回った旅の際に上空を通過したのでしょう。魔法の絨毯でアラビヤの夜空を飛びゆくようでもあり、星々の間を抜けてゆく銀河鉄道のようでもあります。こんなことができるようになるなんて、と嬉々としていそうです。

天体の捉え方がユニークな正木さんは、夏の星をついばみたく思っているようです。赤い星はアンタレスでしょうか。苺、というよりカシスの味がしそうです。

辻さんは『真咲』という句集を出されたときに、句集名にはお嬢さん方の名前から一字ずつ貰ったとおっしゃっていました。夏の星を仰ぎながら探し当てたのは、さてどの文字だったのしょう。

熱帯夜に星を仰ぐこともあり得ますが、〈夏の星〉の句を読んでいると涼しいといわれなくても涼しくなってくるようです。

白髪の母似と言はれ星涼し                          栗田やすし

星涼しアンデルセンの童話など         星野麥丘人

父祖の地に入りて微塵の星涼し              橋本榮治

栗田さんは今風にいうならば見事なグレーヘアの紳士です。真っ白でふさふさのシルバーヘアというほうが適っています。髪は「母」からの遺伝であったと判明するころには、「母」はかの世へ渡られているかもしれず。いよいよ涼しく星を仰ぐことにもなりましょう。

麥丘人は石田波郷、石塚友二の跡を継いで「鶴」の主宰を務めた人です。星空の見える(見えそうな)窓辺でアンデルセンの童話を子に読み聞かせたことがあったのかもしれません。その夜は、子のみならず父の夢にも涼しく星が降ったことでしょう。

橋本さんの「微塵の星」は銀河でしょうか。〈銀河/天の川〉は秋の季語ですが、帰省やキャンプはむしろ夏。そういうシチュエーションに〈星涼し〉は最適な季語といえそうです。

昨年は梅雨明けが八月に食い込みました。七月いっぱいずーっと梅雨(そんな日が来るなんて、と思っていましたが、今年は西日本の梅雨入りがなんと五月に!)。〈梅雨の星〉を六月限定の季語とは言いかねるようになってきました。さて今年は?

むささびや杉にともれる梅雨の星        水原秋櫻子

梅雨の星齢といふも茫々と           廣瀬直人

晩夏限定の星の季語もあります。〈旱星〉です。夜になっても全然涼しくならない! というときに登場しそうな季語です。

蛇・蝎・サザンクロスも旱星                       鷹羽狩行

バーボンは荒くれの酒旱星                           牛田修嗣

暑さに濁る大気を通過し、地上に光が到達するのは一等星でしょうか。旱星とは禍々しい名ですが、実は光の強い星なのでした。(正子)

今月の季語(6月)梅雨の月

caffe kigosai 投稿日:2021年5月17日 作成者: masako2021年5月21日

二月から四月にかけてゆっくりと桜の季語を追いました。昨年の花どきを心穏やかに過ごせなかった悔いがあって、今年は桜前線を待ち受ける心づもりでいたのです。ところが現実の桜はあんまりなスピードで通り過ぎてしまいました。このご時世では追いかけることも叶わず、残念!

次は〈月〉を待ち受けてみませんか? 単に〈月〉といえば秋の季語ですが、幸い月は四季を問わずに仰げます。春には春の、夏には夏の月が上り、それらに対応する季語があります。秋本番ほど多くはありませんが、整理しながらゆっくり追っていきましょう。

夏もすでに仲夏ですが、〈夏の月〉は三夏通じて使えます。

蛸壺やはかなき夢を夏の月     芭蕉

市中は物のにほひや夏の月     凡兆

蛸壺に入っているのは明石の蛸です。明日の命も知らず、蛸壺に一夜の夢を結んでいる、という句です。芭蕉はどういう心持ちで詠んだのでしょう。たとえば、明日は蛸をご馳走しますよ、と言われたのかもしれません。それは楽しみ、と一旦は受けるでしょうが、その蛸は今頃……と海の底へ思いを馳せたようにも思えてきます。

凡兆は芭蕉の弟子です。こちらは庶民の暮らしを見下ろす月を詠んでいます。同じ〈夏の月〉ですが、取り合わせるもの次第で色合いまで異なって感じられます。

夏の月皿の林檎の紅を失す      高浜虚子

今生にわが恋いくつ夏の月      藺草慶子

昼間はもとより、夜も灯火の下では紅色の林檎が、月の光の中では紅く見えないのです。月の光のみの空間では闇より濃い闇の色になるのでしょうか?

後の句。「わが恋いくつ」と自問していても、恋多き女とは限りません。春の月ならばふわふわした嬉しさが伴いそうなところですが、夏の月となると色彩も味わいも変わります。青春を過ぎ、朱夏を迎えた女性が、「今生」と更にこの先をも思いながら問いかけることになるのは、いかなる状況なのでしょうか。

仲夏の今だけ使える月の季語もあります。〈梅雨の月〉です。

わが庭に椎の闇あり梅雨の月    山口青邨

春の月ありしところに梅雨の月   高野素十

青邨の庭の椎の樹は、梅雨どきを迎え、鬱蒼と茂っていることでしょう。月のあるこの夜は樹の形の闇が見えるのです。といっても視覚だけの句でしょうか。このころ椎は目立たない細かい花を無数につけ、青い匂いを放ちます。嗅覚も働いているのではないでしょうか。

素十のこの句は、季重なり(季またがり、と区別して呼ぶこともあります)の解説によく引用されます。目の前には今〈梅雨の月〉が上っています。同じ位置に、ついこの前までは〈春の月〉があって、やっぱりこうして仰ぎ見ていたなあ、という意味合いです。(春の月)も〈梅雨の月〉も季語ですが、時制は仲夏に合わせて詠まれた句ですから、この句の主たる季語は〈梅雨の月〉のほうです。一句の中で過去と現在を往き来できる贅沢を味わえる、と言ってもよいかもしれません。

〈梅雨の月〉と同じところに懸かっていた〈春の月〉は、

水の地球すこしはなれて春の月   正木ゆう子〈春〉

大原や蝶の出て舞ふ朧月      丈草〈春〉

朧のイメージが強いですが、春になったばかりのころの月は、水の精のようかもしれず、さて素十の〈春の月〉はどんな月であったのでしょう。

〈夏の月〉の傍題に〈月涼し〉があります。三夏通じて使えますが、仲夏の〈梅雨の月〉と同義でないことは明らか。〈涼し〉に適った使い方をしましょう。読み取るときも同様です。

のりかへて北千里まで月涼し    黒田杏子     (正子)

今月の季語(5月)夏の風

caffe kigosai 投稿日:2021年4月17日 作成者: masako2021年4月19日

春は東から、秋は西から、冬は北から吹くという風。さて夏はどちらから?

もちろん天気図を見れば明らかなように、日により地域により風はさまざまな方角から吹きます。季節に東西南北を当てるのは五行の考え方によります。が、風向きが南寄りに変わってくると体感的に夏の到来を実感するのも事実です。

風の名前は多く、夏の歳時記に掲載されている主だったものだけでも、南風(みなみ、みなみかぜ、なんぷう)、はえ、まじ(まぜ)、くだり、ひかた(しかた)、あい(あえ)、だし、やませ、いなさ、……と続きます。読み方も一通りではありません。詠むときには、身に添った、実感のある〈夏の風〉を選びましょう。

南国に死して御恩のみなみかぜ         摂津幸彦

南風吹くカレーライスに海と陸         櫂未知子

海彦を悼めば南風の青岬          橋本榮治

南風と書いて「みなみ」と読むことも、「はえ」と読むこともあります。「はえ」と読むときは〈黒南風(くろはえ/くろばえ)〉〈白南風(しろはえ/しろばえ/しらはえ〉と読み分けることのほうが多いかもしれません。

黒南風や波は怒りを肩に見せ      鈴木真砂女

白南風や海の青さの河口まで      三村純也

黒南風は梅雨のころに吹く陰鬱な南風。白南風は梅雨の晴れ間や梅雨明け後の明るい南風です。例には対照的な二句を選んでみました。では次の句の□にはどちらの色が入るでしょう。

□南風の夕浪高うなりにけり     芥川龍之介

龍之介は「白南風」で詠んでいますから、正解は「白」ですが、では黒では成立しないかと問われると、しそうに思えてきませんか? 黒南風、白南風は「まず季語ありき」というより、景に明るさや色彩を加える季語といってもよいのかもしれません。

黒と白に加えて青もあります。

濃き墨のかはきやすさよ青嵐     橋本多佳子

紀の川を吹きてくもらす青嵐     右城暮石

青嵐は万緑をゆるがして吹き渡る風です。明るく強いイメージが好まれます。

やませ来るいたちのやうにしなやかに 佐藤鬼房

〈やませ〉は、夏にオホーツク海高気圧が発達して三陸沖までせり出し、北海道や東北地方に吹きこむ冷湿な風のこと。北東もしくは東から吹きます。冷害を起こすため恐れられてきた歴史があります。「しなやかに」は賞賛ではなく、ぞっとしているのです。

「流し」と呼ぶ風の季語もあります。

庭に母の声して茅花流しかな    古賀まり子

きのふ掘りけふは筍流しかな            飴山 實

野に茅花の穂がほころび、白い穂絮が一面に吹き倒される景は壮観です。これが茅花流しです。梅雨の先触れの雨を伴うことが多いので「氵」も宜なることですが、その時期に吹く南風をこう呼びます。同様に筍が生えるころに吹く雨気をはらんだ風を〈筍流し〉と呼ぶのです。

〈夏の風〉〈南風〉〈青嵐〉は三夏通じて使えますが、〈茅花流し〉〈筍流し〉は初夏、〈黒南風〉は仲夏、〈白南風〉は晩夏です。また、これらはほぼ全国区で使えますが、前出のひらがな書きの風は地域限定です。調べてみてください。(正子)

 

今月の季語(4月) 花惜しむ

caffe kigosai 投稿日:2021年3月19日 作成者: masako2021年3月20日

今年はすこし早めかつ心情的に桜の季語を追っています。早めのつもりでしたが開花自体が早まっていますから、図らずもタイムリーになってしまう可能性もあります。いつかの年のように、開花後にぐっと冷え込んでくれはしないかとすら思い始めました。

咲くまでをあれほど待った桜ですが、まさに花の命は短くて、風が無くてもちらほらと散るようになると、愛でつつ惜しむという感情がむくむくと立ち上がってきます。

花どきの一週間は一と昔                    今井千鶴子

さくらどき裏返しては嬰を洗ふ        平井さち子

〈花時〉〈桜時〉は時候の季語です。表記の違いを楽しみつつ使えます。

大寺湯屋の空ゆく落花かな     宇佐美魚目

ひとひらのあと全山の花吹雪     野中亮介

花筏とぎれて花を水鏡        岩田由美

〈飛花〉〈落花〉〈花吹雪〉は花の散るさまを表しています。〈花筏〉は水面に散った花びらの連なるさまを筏に見立てています(文字通り花の散りかかる筏や、植物のハナイカダを指すこともあります)。枝を離れてもなお花の行方を追っているのです。

花時を過ぎてなお残る花を指して〈残花〉、散ったあと蘂や花柄が降ることを指して〈桜蘂降る〉といいます。

いつせいに残花といへどふぶきけり    黒田杏子

桜しべ降る慶弔の旅つづけ                  角川源義

〈花過ぎ〉の日々にも慣れたころ、静かに花盛りを迎えている桜に出会うことがあります。花見の喧噪が過ぎた時期に咲き出す桜を〈遅桜〉と呼びます。一般的に〈八重桜〉は花期が遅めですが、一重八重を問わず、花期の遅い桜を指します。

一もとの姥子の宿の遅櫻            富安風生

夏に入っても桜の季語はあります。春にはやがて失われる佳きものを愛おしみ、夏には失ったと思っていたものを思いがけず見いだしたときの喜びや失ったものに代わる新しいものへの期待を詠みます。そうした纏わり続ける視線や思いが「惜しむ」に通じるのです。

二、三月にとりあげた〈花を待つ〉や〈花の闇〉と異なり、〈花(を)惜しむ〉は歳時記に「ある」季語です。〈花〉の項に傍題として掲載されています。つまり散ることのみを指しているのではありません。

花惜しむ莚をのべてたそがれて    黒田杏子

〈花惜しむ〉で詠まれた稀少な例です。この花は万朶の花であってもよいわけです。万朶の花といえば、

咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり    高浜虚子

この句が出されたのは立派な弟子たちの居並ぶ句座でした。道長の望月の歌のように、満たされた心情を思わずにはいられません。

今生の今日の花とぞ仰ぐなる     石塚友二

花見の宴は諦めたほうが無難な今年。純粋に(?)花を待ち、愛で、惜しむことにしましょう。(正子)

 

今月の季語(三月)朝桜・夕桜・夜桜

caffe kigosai 投稿日:2021年2月19日 作成者: masako2021年2月21日

先月の「花を待つ」は引き続き有効な時期ながら、今月は時計を先へ進め、一日の時系列に沿って桜の季語を追ってみましょう。

〈桜/花〉とのみあれば、ふつうは昼間の桜を指します。

木のもとに汁も鱠も桜かな    芭蕉

生涯を恋にかけたる桜かな    鈴木真砂女

谷川の音天にある桜かな     石原八束

芭蕉の句の汁や鱠は花見の宴のメニューでしょうか。花びらが盛大に散り込むさまでしょう。見えていますから、夜桜ではありません。真砂女の恋はいわゆる不倫の恋でしたが、このすがすがしさはどうでしょう。桜の背景は青空である気がします。八束の句は聴覚から始まりますが、天へ視覚が移って広がります。眩しさを感じませんか?

もう勤めなくてもいいと桜咲く  今瀬剛一

退職前には勤めに励んでいた真昼間に花の下をぶらつきながら、とも、忙しなく出かけなくてよくなった朝の出勤時間帯に、とも解せます。夕桜や夜桜でないことは確かでしょう(むろん勤めの種類にもよりますが、今瀬氏は教職にあった方です)。

仄暗き昼を桜に逢わんとす     津沢マサ子

「昼」と明示されている珍しい例です。昼間だけれど仄暗さ(後ろめたさ?)があることを伝えています。

冒頭で「ふつうは」としましたが、作者からの指定の有無にかかわらず、適った読み方を読者のほうで選び取ることができる、と言ってもよいかもしれません。

ではこの句はどうでしょう。

命終の色朝ざくら夕ざくら     小出秋光

なんとこの句は朝と夕の限定指定です。夜や闇の桜では駄目なのは(付きすぎでもありますが)、斜めに差してくる光が必要なのかもしれません。

朝ざくら家族の数の卵割り     片山由美子

夕桜家ある人はとくかへる     一茶

家族が揃って朝食をとり、夕方になれば家路を急ぐ、オーソドックスな習慣を前提とした二句です。一茶のほうは、家族をつくる前の句でしょう。家族持ちはさっさと帰り、残るのは自分をはじめ独り者ばかり、と拗ねているようです。

夜桜やうらわかき月本郷に     石田波郷

想像のつく夜桜を見に来たわ    池田澄子

波郷は月の出まで本郷に過ごし、文字通り夜の桜を見るに到ったのでしょう。澄子のほうは、夜桜見物にくりだしたようです。〈夜桜〉を夜の花見の意で使うときには生活の季語となります。

押入に使はぬ枕さくらの夜     桂 信子

その枕を使うひとの不在を詠んだ句でしょう。桜は必ずしも視覚で捉えていなくてもよさそうです。「夜桜」と「桜の夜」は同義ではありません。ポイントを押さえて使い分けましょう。(正子)

 

 

投稿ナビゲーション

← 古い投稿
新しい投稿 →

「カフェきごさいズーム句会」のご案内

「カフェきごさいズーム句会」(飛岡光枝選)はズームでの句会で、全国、海外どこからでも参加できます。

  • 第三十五回 2026年2月14日(土)13時30分
    (3月は第一土曜日・7日です)
  • 前日投句5句、当日席題3句の2座(当日欠席の場合は1座目の欠席投句が可能です)
  • 年会費 6,000円
  • 見学(1回・無料)も可能です。メニューの「お問い合せ」欄からお申込みください。
  • 申し込みは こちら からどうぞ

Catégorie

  • à la carte (アラカルト)
  • 今月の季語
  • 今月の料理
  • 今月の花
  • 加賀の一盞
  • 和菓子
  • 店長より
  • 浪速の味 江戸の味
  • 花

menu

  • top
  • きごさいBASE
  • 長谷川櫂の俳句的生活
  • お問い合せ
  • 管理

スタッフのプロフィール

飛岡光枝(とびおかみつえ)
 
5月生まれのふたご座。句集に『白玉』。サイト「カフェきごさい」店長。俳句結社「古志」題詠欄選者。好きなお茶は「ジンジャーティ」
岩井善子(いわいよしこ)

5月生まれのふたご座。華道池坊教授。句集に『春炉』
高田正子(たかだまさこ)
 
7月生まれのしし座。俳句結社「青麗」主宰。句集に『玩具』『花実』『青麗』。著書に『子どもの一句』『日々季語日和』『黒田杏子の俳句 櫻・螢・巡禮』。和光大・成蹊大講師。
福島光加(ふくしまこうか)
4月生まれのおひつじ座。草月流本部講師。ワークショップなどで50カ国近くを訪問。作る俳句は、植物の句と食物の句が多い。
木下洋子(きのしたようこ)
12月生まれのいて座。句集に『初戎』。好きなものは狂言と落語。
趙栄順(ちょよんすん)
同人誌『鳳仙花』編集長、6月生まれのふたご座好きなことは料理、孫と遊ぶこと。
花井淳(はない じゅん)
5月生まれの牡牛座、本業はエンジニア、これまで仕事で方々へ。一番の趣味は内外のお酒。金沢在住。
©2026 - caffe kigosai
↑