☆「ネット句会」専用の投句欄ができました☆
カフェきごさい「ネット句会」は、どなたでも参加自由です。6月の句会の投句締切りは5月31日(月)です。このサイトの右側に出ている「ネット句会」欄より、5月31日までに3句を投句ください。6月1日中にサイトへ投句一覧をアップしますので、6月4日までに参加者は3句を選び、投句と同じ方法で選句をお送りください。これまで「ネット投句」欄へ投句いただいていましたが、「ネット句会」の専用欄を設けましたので、投句、選句ともそちらへお送りください。このサイトへ参加者の互選と店長・飛岡光枝の選をアップいたします。今年は桜も梅雨入りも早く季節が駆け足で過ぎていきそうですが、句帳片手に初夏の風を全身で味わいたいと思います。(店長・飛岡光枝)
浪速の味 江戸の味 六月【泉州たまねぎ】(浪速)
新たまねぎがおいしい季節です。この辺りでは、泉州(大阪南部)たまねぎと淡路島産のたまねぎが人気です。
たまねぎの原産地はペルシャ地方といわれ、古代から食べられていたようです。日本には、明治4年に米国から初めて輸入され、明治5年頃、土質の適していた北海道で栽培に成功しました。
現在の岸和田市土生町の農家に生まれ、大阪府の勧業委員をつとめていた当時19歳の坂口平三郎(1861~1897)が、明治12年9月に神戸の外国人居留地のアメリカ人からたまねぎを分けてもらい、自宅の土塀のわきに植え付けたのが泉州たまねぎの始まりです。明治初期の農村は、それまでの米納から現金で税金を納める仕組みに変わりました。平三郎は、収益の上がる新作物の導入に努めていました。自力で試験農場を開設し、たまねぎの採種栽培を試みました。そして、農業雑誌を通してたまねぎの有用性と栽培法を全国に広めました。そして、品種改良をしたたまねぎは明治30年には泉州地方の特産品になりました。
たまねぎの主成分は、糖質が約8%。約90%は、水分です。特有の刺激性の香気は、硫化物、アルデヒドなど。硫化物は、辛味があるので、たまねぎを切ると硫化物が揮発して目を刺激して涙が出ます。硫化物は、加熱すると甘味の強いプロピルメルカプタン(砂糖の50倍~70倍といわれる)に変化するので甘味が増します。
洋食に、和食に、中華料理にと甘味、辛味を生かしていろいろ使えますが、この季節の瑞々しい新たまねぎは生食がお勧めです。三杯酢に漬けた新たまねぎはサラダにあえ物にと重宝します。
朝食のたまねぎサラダ輝いて 洋子
今月の花(6月)山法師
2メートルほどの高さの木の元は、そこだけ土が掘り起こされ湿っていたので新築を機に植えられたばかりなのでしょう。葉が少しついている木の元には、新しい角材の短いものに「峨眉山ヤマボウシ」とありました。どんな花が咲くだろうか、峨眉山という記述にこれは特別なヤマボウシかと興味を持ちました。
生け花でも、先のとがった4枚の白い花びらのようなものをびっしりとつけたヤマボウシをいけることがあります。花びらと見えるものは実は総苞片で、中央にある小さな丸い形のものが頭上花序、小さな花が集まり球体となっている花です。
はじめ薄い緑色の苞はだんだんに真白になります。やや濃い目の緑の卵型の葉もこの白でおおってしまうように平たく咲きます。僧が白い頭巾をかぶったように見えたところから山法師(山帽子)という名が付いたといわれています。ピンクの紅ヤマボウシもあります。
ヤマボウシは、少し前の季節に咲くハナミズキと間違えられることがあります。同じミズキ科ですがアメリカハナミズキはアメリカ原産、ヤマボウシは日本原産と言われています。ヤマボウシが花苞の先端がとがっているように見える一方、ハナミズキは花苞の端の中央が少しくぼんでいるのでそれが各々を見分ける目安のひとつです。
みずみずしく保つには、水の中で枝の元を切り、切ったところを割ったり、表皮をわずかに削って水揚げをよくします。しかし先日使ったヤマボウシは、3本のうち枝の張った大きなものは水あげが効き6日ほどきれいに保てましたが、2本は見る見るうちにしおれてしまいました。水あげのタイミングを見るのがとても難しいようです。
秋には赤い丸い実をつけ、さくらんぼうのように下がります。表面がごつごつしていて食用にもなり山ぐみと呼ぶところもあります。
前述のビルの前を通った一年後、少し伸びたあの木は葉を茂らせ、2~3輪のややこぶりの白い峨眉山ヤマボウシを咲かせました。秋には紅葉もするようなので楽しみにしています。(光加)
今月の季語(6月)梅雨の月
二月から四月にかけてゆっくりと桜の季語を追いました。昨年の花どきを心穏やかに過ごせなかった悔いがあって、今年は桜前線を待ち受ける心づもりでいたのです。ところが現実の桜はあんまりなスピードで通り過ぎてしまいました。このご時世では追いかけることも叶わず、残念!
次は〈月〉を待ち受けてみませんか? 単に〈月〉といえば秋の季語ですが、幸い月は四季を問わずに仰げます。春には春の、夏には夏の月が上り、それらに対応する季語があります。秋本番ほど多くはありませんが、整理しながらゆっくり追っていきましょう。
夏もすでに仲夏ですが、〈夏の月〉は三夏通じて使えます。
蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉
市中は物のにほひや夏の月 凡兆
蛸壺に入っているのは明石の蛸です。明日の命も知らず、蛸壺に一夜の夢を結んでいる、という句です。芭蕉はどういう心持ちで詠んだのでしょう。たとえば、明日は蛸をご馳走しますよ、と言われたのかもしれません。それは楽しみ、と一旦は受けるでしょうが、その蛸は今頃……と海の底へ思いを馳せたようにも思えてきます。
凡兆は芭蕉の弟子です。こちらは庶民の暮らしを見下ろす月を詠んでいます。同じ〈夏の月〉ですが、取り合わせるもの次第で色合いまで異なって感じられます。
夏の月皿の林檎の紅を失す 高浜虚子
今生にわが恋いくつ夏の月 藺草慶子
昼間はもとより、夜も灯火の下では紅色の林檎が、月の光の中では紅く見えないのです。月の光のみの空間では闇より濃い闇の色になるのでしょうか?
後の句。「わが恋いくつ」と自問していても、恋多き女とは限りません。春の月ならばふわふわした嬉しさが伴いそうなところですが、夏の月となると色彩も味わいも変わります。青春を過ぎ、朱夏を迎えた女性が、「今生」と更にこの先をも思いながら問いかけることになるのは、いかなる状況なのでしょうか。
仲夏の今だけ使える月の季語もあります。〈梅雨の月〉です。
わが庭に椎の闇あり梅雨の月 山口青邨
春の月ありしところに梅雨の月 高野素十
青邨の庭の椎の樹は、梅雨どきを迎え、鬱蒼と茂っていることでしょう。月のあるこの夜は樹の形の闇が見えるのです。といっても視覚だけの句でしょうか。このころ椎は目立たない細かい花を無数につけ、青い匂いを放ちます。嗅覚も働いているのではないでしょうか。
素十のこの句は、季重なり(季またがり、と区別して呼ぶこともあります)の解説によく引用されます。目の前には今〈梅雨の月〉が上っています。同じ位置に、ついこの前までは〈春の月〉があって、やっぱりこうして仰ぎ見ていたなあ、という意味合いです。(春の月)も〈梅雨の月〉も季語ですが、時制は仲夏に合わせて詠まれた句ですから、この句の主たる季語は〈梅雨の月〉のほうです。一句の中で過去と現在を往き来できる贅沢を味わえる、と言ってもよいかもしれません。
〈梅雨の月〉と同じところに懸かっていた〈春の月〉は、
水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子〈春〉
大原や蝶の出て舞ふ朧月 丈草〈春〉
朧のイメージが強いですが、春になったばかりのころの月は、水の精のようかもしれず、さて素十の〈春の月〉はどんな月であったのでしょう。
〈夏の月〉の傍題に〈月涼し〉があります。三夏通じて使えますが、仲夏の〈梅雨の月〉と同義でないことは明らか。〈涼し〉に適った使い方をしましょう。読み取るときも同様です。
のりかへて北千里まで月涼し 黒田杏子 (正子)
カフェきごさい「ネット投句」(4月)飛岡光枝選
その土地土地の笹で、粽に移る香りも違うのでしょう。あおあおとした笹の葉を開く時の喜びが伝わります。「この笹のこの香故郷の粽かな」もある。
金婚の一献染みる春の宵 弘道
「一献」とはこういう酒に使う言葉だと思いました。深々とした春の宵の一句。
【入選】
単座して散りゆく花の中に居る 守彦
ゆったりとしたリズムが、まさに花びらの散り初めのよう。
手作りのくぎ煮届くや春の風 和子
いかなごの獲れる瀬戸内の海から吹いてくる春風。原句は「手作りのくぎ煮連れ来し春の風」。
しんこ漁明石大橋股にかけ 涼子
春を告げるいかなご漁の活気が目に浮かぶ一句です。いかなごの稚魚を西では「しんこ」と呼び珍重しますが、鰶(このしろ)の幼魚も「しんこ」と呼ばれ、季語としてはこちらがよく知られているので「いかなご漁」としても。
春の灯やほの暗き部屋ほつとする 守彦
春の夕べ、ほうと灯をともした時の思い。
月光にアスパラガスは背を伸ばす 涼子
「背を伸ばす」がまるで動物のようで、土から伸びたアスパラバスの様子によく合っています。
新緑の中にゆらゆら山の藤 和子
山藤の様子を捉えた一句ですが、どちらも大きな季語の夏の「新緑」と春の「藤」の同居は難しい。
朝日カルチャーセンター「カフェきごさい句会」(3月)
朝日カルチャーセンター新宿「カフェきごさい句会」。今月の兼題はサイトより3月の季語「朝桜・夕桜・夜桜」、花「桃」、江戸の味「海苔」です。
【特選】
夜桜の波に浮かぶや我が東京 勇美
東京は名所と言われる場所以外でも、桜が多い街だ。句は満開の桜の上に浮かぶ東京の夜景。当然桜は闇の中。「我が東京」と言い切って句を大きくした。
【入選】
花桃の大波小波地の果てへ 和子
甲府の桃の里を思わせる一句。盆地を見下ろした時の桃畑の花の様子がよく描かれている。「地の果て」が言葉として大げさなのが惜しい。
若き日のあの時を乗せ花筏 弘道
花筏に乗せる思い。「若き日のあの時」がピンポイントすぎるか。「はるかなるあの日を乗せて」など。
花の角曲がりて花の吹雪かな 勇美
花が吹雪くように、字面もリズムもおおらかに。「花の角まがれば花の吹雪きけり」など。
花桃の咲いて青空なほ青し 涼子
桃の花と青空の対比が鮮やか。桃が咲くころの季節感がよく出ている。
黒々と岩海苔ラーメン磯香る 涼子
「磯香る」がいい。「黒々」が春らしい。
草餅や故郷の景を運び来る 弘道
「景」をより具体的に描きたい。「草餅や故郷の山を一口に」など。
今生の別れの覚悟花惜む 弘道
上五中七に「花惜む」はダメ押しになってしまう。「今生の別れか今日の花万朶」などご一考を。
東京やビルに映りて桜燃ゆ 光枝
浪速の味 江戸の味(5月) 初鰹【江戸】

江戸っ子の初物好きはよく知られるところですが、なかでも「初鰹」は特別だったようです。
青葉の頃に相模湾、鎌倉沖で獲れた初鰹は、早舟、早馬で日本橋まで運ばれ、まず将軍様に献上されました。その残りを大名や豪商、高級料亭などが高値で買い取ったそうです。
歌舞伎役者の中村歌右衛門が三両で買った初鰹を、大部屋の役者にふるまった話は有名です。庶民も、少し待てば安くなるのは承知の上で初鰹を食べるのに躍起になったようです。
浮世絵には天秤棒を担ぎ威勢よく初鰹を売る魚屋や、軒先で魚屋がさばく鰹を皿を手に待つ女房達の様子が生き生きと描かれ、初鰹に心躍らせる江戸っ子の気持ちが伝わってきます。
現代の東京に出回る鰹は千葉県で水揚げされたものが多く、今年(2021年)の初鰹は外房の勝浦漁港で1月27日に水揚げされました。一番船は三重県志摩市の鰹一本釣り漁船で、小笠原諸島南方で鰹の群を探し当て釣り上げたとのことです。
黒潮に乗って関東沿岸を北上する鰹を獲つた江戸時代と違い、大型漁船が遠洋の漁場から冷蔵して運ぶ現代では、初鰹は初夏のものという感覚が鈍ってしまいそうです。とはいえ黒潮に乗って上ってくる姿に、夏の生命力を感じるのは、いつの時代も同じではないでしょうか。
写真は、4月中旬の勝浦漁港で揚がった鰹。この時期は町中の魚店でも切り身だけでなく一本鰹が売られています。
初鰹潮はじきて上り来る 光枝
今月の季語(5月)夏の風
春は東から、秋は西から、冬は北から吹くという風。さて夏はどちらから?
もちろん天気図を見れば明らかなように、日により地域により風はさまざまな方角から吹きます。季節に東西南北を当てるのは五行の考え方によります。が、風向きが南寄りに変わってくると体感的に夏の到来を実感するのも事実です。
風の名前は多く、夏の歳時記に掲載されている主だったものだけでも、南風(みなみ、みなみかぜ、なんぷう)、はえ、まじ(まぜ)、くだり、ひかた(しかた)、あい(あえ)、だし、やませ、いなさ、……と続きます。読み方も一通りではありません。詠むときには、身に添った、実感のある〈夏の風〉を選びましょう。
南国に死して御恩のみなみかぜ 摂津幸彦
南風吹くカレーライスに海と陸 櫂未知子
海彦を悼めば南風の青岬 橋本榮治
南風と書いて「みなみ」と読むことも、「はえ」と読むこともあります。「はえ」と読むときは〈黒南風(くろはえ/くろばえ)〉〈白南風(しろはえ/しろばえ/しらはえ〉と読み分けることのほうが多いかもしれません。
黒南風や波は怒りを肩に見せ 鈴木真砂女
白南風や海の青さの河口まで 三村純也
黒南風は梅雨のころに吹く陰鬱な南風。白南風は梅雨の晴れ間や梅雨明け後の明るい南風です。例には対照的な二句を選んでみました。では次の句の□にはどちらの色が入るでしょう。
□南風の夕浪高うなりにけり 芥川龍之介
龍之介は「白南風」で詠んでいますから、正解は「白」ですが、では黒では成立しないかと問われると、しそうに思えてきませんか? 黒南風、白南風は「まず季語ありき」というより、景に明るさや色彩を加える季語といってもよいのかもしれません。
黒と白に加えて青もあります。
濃き墨のかはきやすさよ青嵐 橋本多佳子
紀の川を吹きてくもらす青嵐 右城暮石
青嵐は万緑をゆるがして吹き渡る風です。明るく強いイメージが好まれます。
やませ来るいたちのやうにしなやかに 佐藤鬼房
〈やませ〉は、夏にオホーツク海高気圧が発達して三陸沖までせり出し、北海道や東北地方に吹きこむ冷湿な風のこと。北東もしくは東から吹きます。冷害を起こすため恐れられてきた歴史があります。「しなやかに」は賞賛ではなく、ぞっとしているのです。
「流し」と呼ぶ風の季語もあります。
庭に母の声して茅花流しかな 古賀まり子
きのふ掘りけふは筍流しかな 飴山 實
野に茅花の穂がほころび、白い穂絮が一面に吹き倒される景は壮観です。これが茅花流しです。梅雨の先触れの雨を伴うことが多いので「氵」も宜なることですが、その時期に吹く南風をこう呼びます。同様に筍が生えるころに吹く雨気をはらんだ風を〈筍流し〉と呼ぶのです。
〈夏の風〉〈南風〉〈青嵐〉は三夏通じて使えますが、〈茅花流し〉〈筍流し〉は初夏、〈黒南風〉は仲夏、〈白南風〉は晩夏です。また、これらはほぼ全国区で使えますが、前出のひらがな書きの風は地域限定です。調べてみてください。(正子)
今月の花(5月)王冠百合
ロンドンの門下から「王冠百合が咲きました」と写真が送られてきました。
王冠百合は瓔珞百合(ようらくゆり)とも呼ばれ、茎を高く伸ばしたその先にたくさんの花をつけます。同じような姿の竹島百合はユリ科の百合属ですが、片や王冠百合は同じユリ科でも百合属ではなく貝母属だと知りました。貝母や黒百合の仲間です。
それにしてはこの百合は茎が1メートルにも伸び、貝母や黒百合に比べると花も大きく瓔珞百合という名前も優雅な響きがあります。瓔珞とはインドの王族が身に着けた珠玉や金銀を編んだ装身具のこと。この花はトルコからインドにかけての高地で育ち、中世の末にヨーロッパに渡り日本には明治時代にもたらされたといいます。
どこかで見た記憶はあるのですがどうにも思い出せず、写真を送ってくださったIさんに問い合わせてみました。彼女は私の属している流派のロンドンの初代支部長で、渡英以来いくつもの園芸学校に通って研鑽を積みました。お宅にお邪魔したときは、この植物にはこの土地の土は合わないので庭の一部を1メートル掘って周囲2メートルの土を入れ替えました、というほどガーデニングに力をいれていました。出身国である日本の植物も市場にたまたまあれば手に入れて育て、私は英国でのデモンストレーションの時、調達できない植物を丹精したこの庭から切らせていただきました。私は最近『A Pssion for Ikebana』という本を出しましたが、その英語名と学名の監修は迷うことなく彼女にお願いしました。
I さんによれば、ヤン・ブリューゲルの絵に多く描かれているという王冠百合は、17~19世紀のダッチ・フレミッシュ時代のフラワーアレンジメントではシンボル的な存在らしかったのですが、今では一般の花屋で見かけることはないとのこと。NAFASの資格習得のコースに在籍していた折、ダッチ・フレミッシュ時代のアレンジを再現する課題にこの花を使いたかったので、何個か球根を買い植えたのが二十年前のことだそうです。
花後のさやも見ごたえがあるなどIさんにいろいろ教えていただきながら、学名がFritillaria imperialis と聞き、かすかに記憶がよみがえりました。そう、私はこの花の名前をフリテイラリアと教わりました。なんでもカタカナにしてしまう今の風潮ですが、王冠百合のほうがずっと印象深いのにと残念でした。英語名は、Crown imperialでまさに王冠を意味するのです。
写真を送ってくださった日の翌日、エリザベス女王の夫君、フィリップ殿下が逝去されました。王配というお立場では王冠を付けることをはなかったでしょう。けれども地上ではこの季節、殿下の旅立ちを王冠百合がお見送りしたことを私はこの花を見るたびに思い出すことでしょう。(光加)
カフェきごさい「ネット句会」4月 互選+飛岡光枝選
【連中】雅子 裕子 光尾 隆子 都 涼子 和子 勇美 桂 あきえ 良子 弘道 すみえ 光枝
良子選
うすうすと真昼を月の出開帳 隆子
我らみな地に生きるもの桜咲く 涼子
寄り添へぬ心と心芋を植う 桂
裕子選
AIで喋る子犬と暮らす春 雅子
出開帳さくらの蕊を踏みながら 隆子
上野まで母を迎へに初桜 良子
あきえ選
銀嶺や桜の海に浮かびたり 和子
雪洞に花浮かびおる疎水べり 弘道
鶯や真白きシーツ干し終へて 涼子
桂選
よなぐもり湖底の龍は腹空かせ 都
黄砂降る疫つぎつぎと姿かへ すみえ
朝起きて一杯の水万愚説 裕子
すみえ選
よなぐもり湖底の龍は腹空かせ 都
燕の子土間を汚して巣立ちけり 光枝
寄り添へぬ心と心芋を植う 桂
都選
我ら皆地に生きるもの桜咲く 涼子
銀嶺や桜の海に浮かびたり 和子
先送りの北窓開く校了日 あきえ
涼子選
よべは月美しかりし蒸鰈 隆子
銀嶺や桜の海に浮かびたり 和子
春雷や子ども俳句の恐ろしく 光枝
勇美選
花散つて今朝はま白き花の道 雅子
白木蓮や母の真珠とおなじいろ あきえ
病癒ゆ草餅の草噛みしめん すみえ
雅子選
よべは月美しかりし蒸鰈 隆子
春光の滴たらたら鴨の嘴 桂
春雷や子ども俳句の恐ろしく 光枝
弘道選
うす暗き土間なつかしや草の餅 都
夜べは月美しかりき蒸鰈 隆子
帰らむか生家の辛夷咲くころぞ 都
隆子選
花散つて今朝はま白き花の道 雅子
寄り添へぬ心と心芋を植う 桂
病癒ゆ草餅の草噛みしめん すみえ
和子選
一切をしばし覆ひぬ花万朶 勇美
花筏ほどかぬほどの細き雨 勇美
桜貝すなごは小さく歌ひけり あきえ
光尾選
一人づつ名前呼ばれて菫笑み 和子
花筏ほどかぬほどの細き雨 勇美
出開帳さくらの蕊を踏みながら 隆子
白木蓮はその形を燭台などにたとえた句はたくさんありますが、その色を真珠色として新鮮。そして、その真珠が母の真珠とは何とも深い思いを蔵した一句となりました。原句は「白木蓮や母の真珠とおなじいろ」。「はくれん」と読ませたい場合は、「白木蓮は」。
花散つて今朝はま白き花の道 雅子
言葉の巧みな運びにより一本の白い道が目の前に浮かんできます。
畑に人信濃の里は花あんず すみえ
上五の「畑に人」で命が吹き込まれました。すっきりとした句の姿がいい。
【入選】
はるかなるウイグルの民黄砂舞ふ 光尾
今年は東京でも黄砂が降りました。身体に影響がある方もいて深刻なことですが、彼方の砂漠からの来訪者と思うと胸が熱くなるものがあります。句は
その地の人々へ思いを馳せて大きな一句となりました。原句は「ウイグルの民何思ふ黄砂舞ふ」。
オフィスへ履くスニーカー朝桜 涼子
ニューヨーカーの通勤時の足元がパンプスからスニーカーになったのは、同時多発テロの後。日本では大震災の後でしょうか。それにマスクが加わり現在はよりたいへんですが、毎朝桜が応援してくれているようです。原句は「オフィスへと履くスニーカー朝桜」。
コロナ禍を桜前線駆け抜ける 裕子
いつの世も変わらない自然のたくましさ。ただ、今年は多くの地域での早すぎる開花が気になります。原句は「コロナ禍や桜前線駆け抜ける」。
よなぐもり湖底の龍は腹空かせ 都
黄砂という大きな自然現象と龍が呼応する一句。そういえば龍は何を食べるのでしょう。
一人づつ呼ばれる名前すみれ笑む 和子
新入生の最初の点呼を思いました。大切な名前。原句は「一人づつ名前呼ばれて菫笑み」。
黄砂ふる疫つぎつぎと姿かへ すみえ
まさに今、全世界の思い。季語が的確です。
出開帳さくらの蕊を踏みながら 隆子
出開帳のしめやかながら人々の華やいだ心映えがよく描かれています。ただ季重なりは慎重に。
春光の滴たらたら鴨の嘴 桂
鴨の嘴からの水滴や泥を詠んだ句はたくさんありますが、「春光の滴」として新鮮。春の鴨の句。
鐘楼へ上る石段花ふぶき 良子
きちんと描けた一句。情景がよく見えます。
人の来ぬ堤に花の咲き満る 雅子
今年に限らず、あまりに見事な桜を一人で見る時のとまどいが感じられます。
全山の花雲揺るる吉野かな 弘道
「全山」と打って出たところがいい。原句は「全山に花雲揺るる吉野かな」。




